肺腺がん ステージ4 サバイバー 森山宏則さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森山宏則さん 肺腺がん(肺がん) ステージ4 サバイバー
- 第1話「肺に陰影」
- 第2話「半年というキーワード」
- 第3話「命と向き合うつらい日々」
- 第4話「胸腔鏡手術」
- 第5話「経過観察にて」
- 第6話「再発」
- 第7話「肺腺がんの転移、ステージ4」
- 第8話「長期休暇、長い治療へ」
- 第9話「自分と向き合い、死を覚悟して」
- 第10話「運命を受け入れて前向きに」
- 第11話「がんの影が縮小」
- 第12話「肺がん発症から8年目」
第5話「経過観察にて」
詳しいCT画像検査により肺がんを告げられた宮城県仙台市在住の森山宏則さん(45歳、2010年当時38歳)は、仙台厚生病院で右肺の上葉を切除する手術とリンパ節郭清術を受けた。肺腺がん(肺がん)ステージ1Aと言われた。
手術を無事に終え退院した後、島根県の実家に電話した。
心配させないようにと、これまで自分のがんのことは伝えていなかったが、「実は早期の肺がんで手術も終わった」とさらりと母親に明かした。
20年前、森山さんが18歳の学生の頃、父親が48歳で喉頭がんを患った。
だから母親は、夫・息子とがんを身近に感じたようだった。
森山さんはがんを再発させないように自分で出来ることは無いかと色々調べた。
肺がんの後、生きながらえている人たちを探し、どんな生活をしているのか知りたかったのだ。
このころ体質改善をしたいと思い朝と晩に人参とリンゴ、さらにレモンをジューサーにかけた生ジュースを飲んだ。自分なりに効果を信じて1年以上も続けた。
退院直後に時々出ていたカラ咳は3ヶ月もすると出なくなり、普通に職場に出勤し学生たちを教える、そんな日常を取り戻していた。
一方病院はというと2ヶ月に一度経過観察で診てもらっていた。
胸部レントゲン撮影と血液検査、ときどきCT画像検査。
血液検査は肺がんの腫瘍マーカーCEAの値を追っていた。
手術から1年半が経った2012年4月。
いつもの経過観察で仙台厚生病院の呼吸器外科を訪れた。
この日はCT画像検査の結果を聞く日。
待合室で順番を待っていると名前が呼ばれた。
診察室に入るといつも通り主治医が座っていた。
50代のベテラン男性医師ではっきりとものをいうタイプの先生だ。
森山さんが入って来るなり彼は森山さんの顔を見上げてこう言う。
「まず体調はいかがですか?」
ドキッとした。
いつもは顔なんてじっくり見られないし最初から体調について質問されることも無かった。
敏感な性格の森山さんはとっさに察した。
「えっ…、もしかして何かあったのかな…」
1年半前、最初のクリニックで感じたような重苦しい感覚がよみがえってきた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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