肺腺がん ステージ4 サバイバー 森山宏則さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森山宏則さん 肺腺がん(肺がん) ステージ4 サバイバー
- 第1話「肺に陰影」
- 第2話「半年というキーワード」
- 第3話「命と向き合うつらい日々」
- 第4話「胸腔鏡手術」
- 第5話「経過観察にて」
- 第6話「再発」
- 第7話「肺腺がんの転移、ステージ4」
- 第8話「長期休暇、長い治療へ」
- 第9話「自分と向き合い、死を覚悟して」
- 第10話「運命を受け入れて前向きに」
- 第11話「がんの影が縮小」
- 第12話「肺がん発症から8年目」
第4話「胸腔鏡手術」
2010年8月、健康診断で要・再検査となり仙台市内のクリニックでCT画像検査を受けた所、さらに詳しい検査が必要として仙台厚生病院を紹介された宮城県仙台市在住の森山宏則さん(45歳、2010年当時38歳)は、そこで正式に肺がんを伝えられた。
10月、この頃にもなるとインターネットの情報とか本を読んで勉強し、病気と治療についてかなり理解していた。
肺がんと言っても幾つかの種類があり、しかも進行ステージ毎に5年生存率が異なっている。
自分はステージ1であると理解していた。
手術前のインフォームドコンセントを主治医から受けた際、こう説明された。
手術は胸腔鏡を用いて行うもので、右肺上葉の切除+リンパ節郭清。
リンパ節への転移があるかどうか現時点ではわからないが、取り敢えずリンパ節を切り取り、病理検査を行って肺がんの種類と進行ステージを確定するというもの。
10月29日、手術当日。
この病院では患者の家族のために手術の様子を撮影し別室で放映し、視聴できる中継サービスがある。
心配な森山さんの妻はその映像をみていた。
手術は3時間ほどかかった。
数日後、担当医からこう説明される。
「よかったです。リンパ節への転移はなかったです。肺腺がんの進行ステージ1Aです」
それを聞き妻と一緒にホッとしたのを覚えている。
ネット情報によると肺腺がんのステージ1Aなら5年生存率90%とあった。
「これで治る可能性あるね」
夫婦で喜びをかみしめた。
11月10日、無事に退院。
森山さんは今回のことを職場の人たちには内緒にしていた。
内臓系の病気で入院治療を受けてきますとだけ伝え、退院翌日に仕事に戻る。
ただ職場の階段を登ると咳が出た。
何も知らない学生たちが心配する。
「先生、大丈夫ですか?」
胸膜が刺激されるとき咳が出やすいと医師から説明を受けていた。
きっとそれだと思い恐怖心はなかったが、しんどい時期だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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