肺腺がん ステージ4 サバイバー 森山宏則さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森山宏則さん 肺腺がん(肺がん) ステージ4 サバイバー
- 第1話「肺に陰影」
- 第2話「半年というキーワード」
- 第3話「命と向き合うつらい日々」
- 第4話「胸腔鏡手術」
- 第5話「経過観察にて」
- 第6話「再発」
- 第7話「肺腺がんの転移、ステージ4」
- 第8話「長期休暇、長い治療へ」
- 第9話「自分と向き合い、死を覚悟して」
- 第10話「運命を受け入れて前向きに」
- 第11話「がんの影が縮小」
- 第12話「肺がん発症から8年目」
第3話「命と向き合うつらい日々」
2010年8月、健康診断で肺に陰影があるとして要・再検査となった宮城県仙台市在住の森山宏則さん(45歳、2010年当時38歳)は、翌月、仙台市内のクリニックでCT画像検査を受け、医師からさらに詳しい検査が必要として専門の病院を紹介された。そして半年も放っておけないと言われた。
地下鉄に乗り自宅の最寄り駅で降り、駅の改札を出た。
「なんでだよ…」
前触れもなく突然現れた命と向き合う状況。
悔しかった。
駅から自宅までの7分間、不思議な情景が頭をよぎる。
自分のお葬式が執り行われていて、まだ中学1年生の長男が、なぜか高校生になっている。
高校の学生服を着て喪主として、参列者たちの前で挨拶をしているのだ。
不憫(ふびん)に思えた。
まだ小さい子供なのに、自分の死のせいでいろんなものを背負っている。
自分の死と残された家族のその後を想像し、涙があふれた。
自宅に戻り妻にこの日一日のことを伝えたはずだ。
しかし、自宅に戻ってからの記憶が薄く、よく覚えていない。
たぶん、その後も普通に職場に行き学生たちを教えて毎日を過ごしていたはずだ。
9月21日、仙台厚生病院・呼吸器内科。
森山さんは最初のクリニックで撮影されたCT画像を持参して受診した。
妻と一緒ではなく、この日も一人で病院を訪れた。
「胸部CTにて右肺上葉に10ミリ程度の結節を認めます」
医師からそう言われた。
そして会話の中で「がん」の事実をはっきりと伝えられる。
手術は10月29日に予定。
ただ、妻以外の誰にもがんの事実を明かさなかった。
中学1年生と小学校4年生の息子たちはもちろん、両親や職場の人にもがんのことは伝えなかった。
大騒ぎになるだろうし、入社したばかりなのに戦力外とみなされるのが嫌だった。
夜になると不安になり泣いてしまう日もあった。
時にはつらさのあまり妻にあたってしまい自己嫌悪になっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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