【ストーリー】三枝幹弥さん 中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4 サバイバー

中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4a サバイバー 三枝幹弥さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】三枝幹弥さん 中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「微熱とリンパ腺の腫れ」
  3. 第2話「何かが違う、おかしい」
  4. 第3話「悪性腫瘍の細胞が検出」
  5. 第4話「告知に次々と埋まる予定」
  6. 第5話「経営者のがん」
  7. 第6話「がん研有明病院へ」
  8. 第7話「ステージ4」
  9. 第8話「声か、命か」
  10. 第9話「取引先、金融機関、社員への説明」
  11. 第10話「CCRT化学療法併用放射線治療」
  12. 第11話「5分5分でわかりません」
  13. 第12話「顔面神経、舌下神経、副神経のリスク」
  14. 第13話「手術と病理検査」
  15. 第14話「戻らない体力と筋力」
  16. 第15話「中身の濃い5年間」

第15話「中身の濃い5年間」

中咽頭がん(ステージ4、扁平上皮癌)を発症し化学療法併用放射線治療CCRTと外科手術を受けた山梨県中巨摩郡昭和町在住の三枝幹弥さん(48歳、2011年当時42歳)は、中々本調子に戻らない体調に不安を感じつつも、皆をびっくりさせたくて2013年の東京マラソンに応募した。

2012年末
最後の退院から1年8ヶ月が過ぎていた。
フルタイムで仕事ができている。
しかし抗がん剤(シスプラチン)の副作用でまだ手足はしびれているし味覚は完全には戻っていない。
でも予定通り東京マラソンを走るつもりでいた。
2013年2月24日、大会当日。
大勢の観客が沿道で応援する東京の街中をゆっくり思いっきり楽しんで走った。
25kmの制限時間関門はクリアできなかったが、がんから2年で25kmも走れた。

翌日、山梨の会社でみんなを驚かせたくて言った。
「実は、昨日、東京マラソンを走ったんだよ。25kmの制限時間関門は無理だったけど…」
社員も家族もみんな驚くと同時に喜んでくれた。
思い返せばこの2年間、心の底から喜べるような本当に嬉しい事なんてなかった。
がんと言う病気を患い長いトンネルに入り込んだけど、ようやく光が見えてきた感じで嬉しい。
そして4月、無事がんから2年の記念日も迎えた。

それから…。
翌年2014年2月、ついに東京マラソンを完走する。6時間35分かけてフルマラソンを走り抜いた。
コース上にあるがん研有明病院の前を通り過ぎた時、「やったぞ!」とガッツポーズをした。
それからは毎年走り、昨年は「がんから5年」の完走も成し遂げた。

今振り返り、人生の一区切りができたし本当に中身の濃い5年間だったと感じる。
働いていて、生きていて思う。
昔は日常のちょっとしたことで悩んでいたけど、いまはどんな悩みも大したことじゃないと感じる。
大病と向き合い、でもこの5年をなんとか生き抜いたという事実が大きな財産になっているからだ。

当時とても心配していた母親はいま、毎日ニコニコしている。
それを見るたびに良かったと思う。
身体と心が弱った境遇を経験し弱い立場の人の気持ちがわかるようになった。
得たものが多いし、この体験を他の人にも伝えていきたいと思う。

春になるたび、また1年積み重ねたと喜びをかみしめている。

>>三枝幹弥さんの 「インタビュー」はこちら

>>三枝幹弥さんの 「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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