中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4a サバイバー 三枝幹弥さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】三枝幹弥さん 中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4 サバイバー
- 第1話「微熱とリンパ腺の腫れ」
- 第2話「何かが違う、おかしい」
- 第3話「悪性腫瘍の細胞が検出」
- 第4話「告知に次々と埋まる予定」
- 第5話「経営者のがん」
- 第6話「がん研有明病院へ」
- 第7話「ステージ4」
- 第8話「声か、命か」
- 第9話「取引先、金融機関、社員への説明」
- 第10話「CCRT化学療法併用放射線治療」
- 第11話「5分5分でわかりません」
- 第12話「顔面神経、舌下神経、副神経のリスク」
- 第13話「手術と病理検査」
- 第14話「戻らない体力と筋力」
- 第15話「中身の濃い5年間」
第11話「5分5分でわかりません」
中咽頭がん(ステージ4、扁平上皮癌)と診断され、自ら過酷な化学療法併用放射線治療CCRTを選んだ山梨県中巨摩郡昭和町在住の三枝幹弥さん(48歳、2011年当時42歳)は、IMRTによるCCRT治療を翌年の1月まで受けていた。
そして2011年1月20日、予定通り退院した。
「なんとか、やり遂げた…。やっと終わった」
万感の思いで東京から山梨に戻った。治療の評価は2月の上旬に知らされるという。
山梨に戻ったが自宅ではなく両親のいる実家で生活することにした。
妻はただでさえ3人の子供たちの世話で大変な毎日だ。
これに自分まで加わるのは良くないと家族相談の上そう決めた。
母親は相変わらずしんみりしていた。息子を可哀そうに思い心配は尽きないようだった。
三枝さんは治療こそ終わったが苦しんでいた。何もしていないからだ。
治療中は病気と闘っている感じがしたし前に進んでいる実感があった。
しかし治療を終え退院した今、まるで被告人が審判を待つかのような心境だった。
もし再発したらどうしよう…、もし転移したらどうしよう…、もし駄目だったら…。
そんな暗いことばかり考えてしまい精神的に病んでいた。
真面目な人になればなるほど努力していないように感じる時間はつらい。
この頃はよく本を読んだ。心が落ちつくからだ。
古典的な宗教の本は心に響いた。
仏教、キリスト教、なんでも読んだが、原始仏教の原典には救われる思いがした。
数千年という時代の荒波を経てもなお朽ちない文章と言葉はどこか哲学的で、いま弱っている自分の心を救う感じがした。
2月7日、ひとり上京しがん研有明病院に行った。
画像検査の結果を教えてもらう日で、がんが残っていたら手術となる。
この期に及んで声を失う外科手術なんて嫌だし、左首を切るオペも怖い。
何より、また東京で一人入院なんて嫌だった。
そして厳しい表情の担当医はこういった。
「画像を診る限りでは、頸部リンパ腺にがん細胞が残っているかいないか、5分5分でわかりません。手術はリスクを伴いますが、手術して組織を取りましょう」
左首だけの手術ということだったが、それを勧められた。望んでいなかった結論に落胆する。
2月で42歳になったが、あと5年、47歳まで生きられたら凄い事なんだなと感じしんみりした。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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