浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第8話「がん転移の告知」
浸潤性の乳がん(トリプルネガティブ、ステージ2b)と診断された埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、診断結果を会社と両家の親に報告した。そして治療を受ける病院は東京にあるがん研有明病院に決めた。
関根さんの自宅からがん研有明病院までは、電車をいくつも乗り継いで1時間半以上かかる。
2015年8月17日、その有明病院での初診の日。
診察した医師は採取した組織のプレパラートをクリニックから取り寄せてほしいと言った。
その上で、がん研有明病院でも一通りの検査を行うと言う。
マンモグラフィー検査、超音波検査、血液検査、骨シンチグラフィー検査、生検、MRI、、
初診以降、頻繁にがん研有明病院に通い検査を受けることになり、生活が一変した。
職場に行くよりも病院に行く回数の方が増えた。
検査が終わると、同じ結論を言われる。
進行ステージ2b
3cm×4cmのがんがわきの下に転移しているとのことだった。
がん転移の告知…。
夫と義理の母と3人で医師の説明を聞き、「これは切っておしまいのパターンじゃないかもしれない」と感じ少し怖くなった。
完全に治るかどうか不安に感じ始めた時だった。
一方、関根さんはがんのことを息子たちになんて説明すればよいか悩んでいた。
がん研有明病院にあるがん相談支援センターを訪れ、そのことを看護師に相談した。
家族以外の人に初めて自分のがんを打ち明けた。
看護師は対応に慣れていて、子供の年齢ごとにある絵本を紹介してくれた。
「おかあさんが、がんになった」という類の絵本でママに何が起きているのかを説明する絵本だった。
これなら抗がん剤で髪の毛が抜けることも子供たちは理解できる。
親が子にしっかり説明することで親子とも心の負担が減ると説明された。
ただ息子を通じて「○○君のママ、がんだってよ」とか陰で噂されるのは嫌だった。
だから息子たちに「お友達には言わないでね」とした。
関根さんは会社への報告、連日の検査、子供たちへの説明と自分がやらなくてはならないことを一生懸命こなしていた。
次のページを読む >> 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-