浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第5話「ごめんね」
右胸とわきの下にしこりが見つかり生検の結果、がんの疑いを告げられた埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、途方に暮れた。
幼い子供がいるお母さんは忙しい。
関根さんもそうだった。
仕事、病院のあとに保育園へのお迎え、それから子供たちをお風呂に入れて、食事の準備。
コンビニのコーヒーなんかじゃ気持ちの切り替えなんかできなかった。
この時、悩んでいたのは「仕事をどうしよう…」と「子供たちになんて言おう」だった。
夫の帰りはこの日も遅い。帰宅が夜中の零時を回るかもしれないが、この日、このことだけは起きて、顔をみて報告しようと決めていた。
夜9時を回ると心配していた正明さんから「LINE(ライン)」で連絡がきた。
「今日の結果どうだった?」
連絡が来て少しほっとする半面、なんて返そうか困った。
こんな大事なことLINEなんかじゃ伝えたくない。
短く「黒だよ」それだけ返した。
明らかに夫も動揺している。それが読んで取れたし申し訳なかった。
正明さんは医療現場で使われる装具メーカーに勤務していて、その設計と営業を担当していた。
忙しい毎日、夫婦二人で仕事と家事をこなしていた。
この日も23時を回ってから帰宅した。
関根さんは、すぐに言葉が出なかったが夫に「ごめんね…」そう謝った。
正明さんはがんになったからって謝ることないよと強く返してくれたが二人はただ泣くことしかできなかった。
翌日、関根さんは心ここにあらずの状態だったが、しっかりと会社に報告した。
上司の女性から「仕事のことは気にせず、ゆっくりやって、しっかり治して」と言われ安心する。
それからの関根さんはともかく情報が欲しくてインターネット検索を続けるのだがよく解らない。
患者のパターンがありすぎなのだ。
1週間入院して仕事にすぐに復帰した人もいれば会社を辞めた人もいる。
シリアスな状況が自分に降りかかるとは思いたくないから、いつものように楽観的なことを考えようと努めた。
「たぶん、私の場合は切って取っておしまいのパターンなんだ。きっとそうなる」
そう信じたかった。
次のページを読む >> 第6話「トリプルネガティブ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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