浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第3話「生検」
2015年3月、シャワーを浴びていたとき右胸にゴロンとする柔らかいしこりを見つけ病院で診てもらったが心配ないとされた埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、3ヶ月後にわきの下のしこりも見つけた。再び病院に行くと生検してしっかりと調べたいと言われる。
それから1週間後。
関根さんは超音波検査を受けるためうす暗い部屋にいた。
医師の指示に従いベッドの上で横になると、右胸に局所麻酔を打たれた。
外科医は超音波検査で使うマウスのようなものを胸の上で滑らせ、画像を観ながらしこりの場所を確認し、採取する場所を狙う。
やがてパチン、パチンという金属音が響き乳房の中の組織が採取され始めた。
どうなっているのか見たいが暗い部屋で横になっているからよく解らない。
3ヵ所から生検されたはずだ。
この結果は1週間後に知らされることになった。
関根さんはこの日もインターネット検索をした。
ともかく知りたかったのだ。
「しこりはあったけど乳がんじゃなかった」というケースの書き込みばかり探しては自分に当てはめ、それに違いないと思うようにした。
「がんになって痩せた」というものもあり、痩せない自分には当てはまらないとも思った。
家族・親戚にもがん患者はいない。
心の中では、7:3の確率で自分はがんじゃない(7割)の気持ちだった。
1週間後の結果報告の日。
正明さん(仮名)は一緒に行こうかとも言ってくれたが、仕事が忙しい時期で休みの調整も難しそうだったので「来なくていいよ。大丈夫だよ」と返した。
2015年7月2日夕刻。
これで4回目のクリニックとなった。
「7:3で大丈夫。大丈夫」心の中でそうつぶやいていた。
外来の待合室にいると名前が呼ばれた「関根さん、診察室にどうぞ」
入ると担当医が困った感じの表情で言った。
「えっ…。ひとりで来ちゃったの!?」
その瞬間、凍りついた。
ひとりで来ちゃいけなかったんだ…。
どうしたらいいか解らなくなった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-