浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第1話「乳がん検診」
「ごめんね(乳がんになっちゃって)」
その日、夜遅くに帰宅した夫に言った。
まだ子供たちが7歳と4歳、そんなときにがんを知らされた。
2014年9月。
39歳になった埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2014年当時39歳)は、自治体から届いた乳がん検診の案内をみていた。
「来年は40歳になるんだし、マンモグラフィーも受けてみようかな…」
そんな思いで健康診断の案内を眺めていた。
そういえば、昔ちょっと気になったことがある。
それは2人の子供を出産した32歳と35歳の時、母乳を与えるのだが時々乳腺炎になった。
大抵、2日ほどすると炎症は引いたのだがそのことを覚えていた。
関根さんは社会福祉法人で障害者の職業あっせんの仕事をしていた。
その仕事は自治体からの受託業務だったため職場は市役所の中にあった。
検診当日、市役所にマンモグラフィーを搭載した車がやってきて希望する人たちが検査を受けた。関根さんも初めてその検査を受けた。
それから1ヵ月後、問題なしの報告が届く。
まだ30代だし当然ないよね、それを確かめられてよかったと思った。
それから半年後の2015年3月。
いつものように朝起きてシャワーを浴びていた時、ハッとする。
右の胸に大きいゴロン、ゴロンとするものがある。
うずらの卵ぐらいの柔らかいしこりだ。
「なんだろう…。何か炎症でも起きているのかなぁ…」
とても気になった。
取り敢えずいつものように市役所に向かい、仕事が終わると同時に近所のクリニックに行った。
そこは夕方5時まで受け付ける婦人科クリニックで状況を話すと「すみません。うちは婦人科なので(乳腺外科じゃないから)胸は診れないんです」そう言われた。
それくらい病院にうとかった。
6時まで受け付ける別のクリニックを紹介され、さっそく行った。
その日のうちに「白(=がんじゃない)」と確かめたかったから急いだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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