浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
2015年に浸潤性の乳がん(トリプルネガティブ、ステージ2b)と診断された埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、抗がん剤(CEF療法、ドセタキセル)治療のあと、乳房の全摘手術、そして放射線治療を受けた。そして元の職場に戻った。
仕事に復帰できたことで患者の世界からどんどん遠ざかっていく気がして嬉しかった。
ただ、担当の仕事は抗がん剤治療のときに替わった事務の仕事だった。
再び相談業務に戻りたいと希望したが慎重な会社側は、向こう2~3年はこのまま様子をみたいと言う。
詳しく聞くと「再発するかもしれない」と言うのが慎重な理由の一つで、そんな見方をするのかと幻滅した。
関根さんは働くことに執着心があると言う。
だから自分が希望する相談業務をやりたくて、その仕事を探した。
履歴書には自分の病歴までしっかりと書き応募したところ、秋には高齢者施設の社会福祉法人で、社会福祉士として相談業務をする仕事に就けた。
仕事とキャリアが再び前に動き出した。
いまこの2年間を振り返りこう思う。
「ちょっと前までの自分は“胸”がすべてだった」
どうしても胸を守りたくて、それがかえって自分をつらい気持ちにした。
でも今は、右胸がないからと言って仕事ができないわけじゃないと思う。
失うのはつらかったけれど、再建しても自分の思い通りの胸が持てるのかよく解らない。
再び手術を受けて再建する…そこまでして手に入れるものなのか自分で疑問に感じるようになった。
「がんになったことは私にとってほんの一部のことなんです」
今はやりたいことがいろいろあって、守りたいこと、こだわりたいことと天秤にかけて前に進んでいる。
もう立ち止まりたくないのだ。
春になると子供たちは小学3年生と年長児童に進級する。
この冬は20年ぶりにスキーに行った。家族4人でのスキー。
ついこの前、今シーズン2回目のスキー旅行をみんなで楽しんだ。
80歳を一生とするといま41歳だからあと39回も冬が来て毎回スキーができる。
3月には、がん治療終了後の1年の節目をぶじに迎えた。
元気いっぱいの毎日が戻ってきている。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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