浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第12話「職場への復職」
抗がん剤(CEF療法、ドセタキセル)治療を終え、乳房の全摘手術を受けた埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、入院中に仲間ができた。そしてこれがとても良い経験になる。
同じ乳がんの仲間たちができ精神的に救われた関根さんは、新鮮な気持ちが湧き出てくるのを感じた。
「あーやっぱり、(私は)社会に戻りたい。仕事をしたい」
気力と働く意欲が戻ってきた。
手術を終え退院した関根さんが次に受ける治療は放射線治療。
体調が戻りだした退院1ヶ月後、2016年のゴールデンウィーク明けから治療が始まった。
1回2~3分放射線を患部に当てる。
これを1週間に5日間、5週間行うものだった。
毎朝、長男と次男を学校・保育園に送り出し、9時半に病院に向かう。
電車を乗り継ぎ1時間半かけお台場にあるがん研有明病院に到着。
放射線治療を終えて自宅に戻るのは14時を過ぎる毎日だった。
そんな生活を毎日淡々と繰り返す。
気持ちのテンションも高くないし低くもない。
25回目の放射線治療が6月に終わった時、何とも言えぬ解放感を感じた。
すべての乳がん治療が終了したときだった。
それから…。
傷病手当を受給していたので休もうと思えばもうしばらくゆっくりできる関根さんだったが早く社会とつながりを持ちたいと感じていた。
もう病人には飽きたし、せっかく気持ちが前向きになってきたのだから仕事に戻りたかった。
自分に役割が欲しいし働いている方がよっぽど楽だと感じる。
そして2016年7月。
元の職場の復職した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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