浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第11話「全摘か部分切除か」
乳がんの手術の前に2つの抗がん剤(CEF療法、ドセタキセル)治療を受けた埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、抗がん剤治療の効果に喜んだ。いよいよ手術を受ける。
乳房全摘にするのか…、それとも部分切除を選ぶのか?
悩みに悩み迷いに迷った関根さんの出した結論は乳房全摘だった。
担当医に「全摘でお願いします」と言ってから泣いてしまった。
そして3月7日、手術のために入院。
翌日、手術の日を迎え、さまざまな不安が頭の中を巡った。
メスで切られるのは恐いし、麻酔だって怖い。
何よりもおっぱいが無くなるのが辛くてたまらなかった。
手術は4時間かかり無事に終わった。
オペ室から出て移動式ベッドで運ばれ意識が戻った。
真っ先に気になったのは右胸のことだが、その胸はなにか熱を帯びているように熱くて重かった。
何とも言えぬ違和感と喪失感。
手術を終えた後、夕方、看護師がガーゼを取り換えに病室に来た。
そしてこう言う。
「お傷、みられますか?」
手術して取った胸は、一人ではなく夫と一緒に見たかった。
今なら夫もいるし丁度いいのでうなずいた。
手鏡を渡され見た自分の右胸はペタンコだった。
しかし正明さんが「(傷は)すごくきれいだよ」と言ってくれた。
それからは急にお腹が空いて通常食をモリモリ食べた。
胸のドレーンはなかなか抜けず2種間ほど入院が続いたが、この入院期間が大きな転機になる。
4人部屋で仲間たちができたのだ。
乳がんという病気と闘う同志たち。
通院で抗がん剤治療を受けていたときはどこか引きこもりみたいな生活だった。
人に会いたくないし、自分の気持ちをわかってくれる同じ患者は周囲にはいなかった。
でもこの4人部屋にいるみんなは、同じ病気を経験し、同じつらさを体験してきた。
それまで感じてきた孤独感から抜け出せた感じなのだ。
とても救われたし、気持ちが楽になった。
関根さんにとって大きな転機となった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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