浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
浸潤性の乳がん(トリプルネガティブ、ステージ2b)を患い、CEF療法を開始した埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、つらい副作用から自身の社会的存在を問い始めてしまった。思い返すとこれまでキャリアと人生について真剣に向き合ってきた。
リクルート社に転職したことで仕事の幅が広がった。
立場こそ契約社員だったがいろんな仕事を任された。
当時の仕事は企業への人材あっせん業務と転職を希望する人の相談業務だった。
とてもやり甲斐を感じた。
自分と同じような想いの女性たちがいて、みんな頼もしい。
激務ではあるがその分、お手当ても良かった。
流行り言葉のDINKS(ダブルインカムノーキッズ)で正明さんと旅行も楽しんだ。
やがて子供が欲しくなり32歳で長男を出産。
出産休暇と育児休暇を経て現場に復職。
子育てと仕事を頑張った。
そして35歳のとき次男を出産。
2回目の出産休暇と育児休暇を取ったが、今後のキャリアを長い目で見てリクルート社を8年で退職。
その後、社会福祉士の仕事に就くために専門学校に1年間通い資格を取る。
関根さんは37歳になり子供たちは5歳と2歳になっていた。
そんな積極的な人生を送ってきた頃と比べると今の抗がん剤治療の生活は何とも惨めだった。
人と会うことも少なく、自宅に引きこもっているかのようだ。
8月末から始まったCEF療法は無事4クールを終え、次の抗がん剤(ドセタキセル)に替わった。
これもCEF療法と同じで、1クール3週間を合計4クール行うものだった。
厳しい副作用、患者というつらい立場、元の仕事に戻りたい気持ち、
色んなことが頭を巡っていたが、耐えに耐え、無事すべての抗がん剤治療を終えた。
すでに2016年1月になっていた。
抗がん剤はよく効いた。
わきの下にあったしこりは消え、右胸のしこりも小さくなった。
いよいよ手術に入る。
担当医から「これなら部分切除でもいけますよ」と言われどうするか大いに悩む。
結果的にがんを取り残して再発するのは恐い。
部分切除だと胸の形が壊れるのも嫌だ。
一方、切除する範囲が広いので乳房の同時再建はできないと言う。
胸の全摘にするか、部分切除か、担当医に報告する5分前まで悩んでいた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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