浸潤性乳管がん トリプルネガティブ ステージ2B サバイバー 関根亜希子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】関根亜希子さん 乳がん(浸潤性乳管癌) ステージ2 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がん検診」
- 第2話「右胸のしこり」
- 第3話「生検」
- 第4話「極めて高いがんの疑い」
- 第5話「ごめんね」
- 第6話「トリプルネガティブ」
- 第7話「つらい報告」
- 第8話「がん転移の告知」
- 第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
- 第10話「抗がん剤治療終了。手術へ」
- 第11話「全摘か部分切除か」
- 第12話「職場への復職」
- 第13話「がんになったことは私にとってほんの一部のこと」
第9話「抗がん剤治療、CEF療法」
浸潤性の乳がん(トリプルネガティブ、ステージ2b)と診断された埼玉県在住の関根亜希子さん(41歳、2015年当時40歳)は、通院に1時間半以上もかかるがん研有明病院で治療を受けることにした。そしてここで正式に転移の告知を受けた。
2015年8月末
1つ目の抗がん剤治療、CEF療法が始まった。
第1日目に外来で抗がん剤(シクロホスファミド、エピルビシン、フルオロウラシル)を点滴で入れ、残りの20日間を回復期に充てる3週間を1クールとするものだ。
最初の1週間は身体的につらいが、2週目、3週目は薬が抜けているので楽になる。
これを合計4クール行う。
CEF療法の副作用はさっそく現れ、吐き気、倦怠感、脱毛、手足のしびれ、結膜炎、疲れやすいし爪も黒ずんできた。
抗がん剤が身体に入るとまるで深みに沈むような感覚があり、しかも髪の毛も抜けていくから人と会いたくなくなる。
気力が低下していく感じなのだ。
会社の上司の女性は「(会社には)出れる日だけでればいいから」と優しく言ってくれる。
髪の毛を失う。
やがて乳房も失う。
「なんでこんなことになってしまったのか…」
そんな気持ちがわき自分の心に余裕がなくなっているのがわかる。
「いまの自分は社会に価値を生み出しているのだろうか…」
真面目な関根さんはそんなことを感じだしていた。
振り返るとこれまで真剣に仕事上のキャリアとか人生と向き合ってきた。
学生の頃、英語が得意だった関根さんは大学で英文科を専攻した。
しかし外資系企業への就職はかなわず、新卒で百貨店のジュエリーメーカーの販売員の仕事に就いた。
しかし仕事内容は単調なもので仕事人としてのキャリア形成なんて望めなかった。
でもすぐに辞めたら何にもならないと感じ、ひそかに産業カウンセリングの資格を取るのと同時に、その販売店のトップたる店長として勤め上げるまで6年間がんばった。
一方、同じ中学校の同窓会だった正明さん(仮名)とは成人式のときに再会し、お付き合いが大学生時代から続いていた。
プロポーズを受け、これが良いタイミングとして百貨店のジュエリーショップを結婚退職すると同時に、次のリクルート社に転職した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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