浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
乳がんの病理がトリプルネガティブだった東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2015年当時53歳)は、手術のあと抗がん剤治療(AC療法、パクリタキセル)を受けていた。
2015年2月に始まった抗がん剤治療は半年が経ち8月に終わった。
すべての治療をやり終えたとき心からホッとした。
秋、病院の治験コーディネーターから治験を受けないかと誘われる。
乳がん(トリプルネガティブ)で母親も乳がんを患ったため遺伝性乳がんの可能性があるからだ。
それを確かめませんかということだった。
もし遺伝性であれば同じ乳房に多発したり、もう一方の胸に発症する確率が一般の人に比べ6倍から12倍、さらに卵巣にがんを発症する確率が8倍から60倍という報告をみた。
興味もあったので検査を受けた結果、BRCA2の遺伝子に異常があるタイプだということがわかり治験を1年間受けることになる。
いま、この2年を振り返りあまりにも色んなことが起こったと感じる。
夫婦同然だった孝之さんの死。
彼は、依田さんには大きな存在だった。
だから急にいなくなってしまい、どうしたらいいのか解らなかった。
「(孝之さんが亡くなったので)いま自分の生きがいになるような何かがない。いつかまた見つかった良いと思うけど」
そんな心境だ。
2016年10月
依田さんは契約社員から正社員に昇進した。
入社して28年近くが経ち、ついになれた正社員。
望んでいたことが実現し、素直に嬉しい。
いまも週末に整骨院にいき電気をかけてもらうのが一つの楽しみだ。
ボクササイズにもはまっている。
ヨガ、ピラティスも好きだ。
ジムで汗を流すと生きていると実感するし、とてもスッキリする。
毎週、大好きなカラオケにも行っている。
乳がんから2年が経った。
遺伝性乳がんのため定期的に病院で検査を受けているが、依田さんは強く生きているし、大切な日常を取り戻している。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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