S状結腸がん ステージ3a→ステージ4、肝転移 サバイバー 森島俊二さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森島俊二さん 大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 サバイバー
- 第1話「36歳での健康診断」
- 第2話「便潜血検査陽性から大腸内視鏡検査」
- 第3話「グループ5に近いポリープ」
- 第4話「腹腔鏡によるS状結腸がん切除」
- 第5話「術後の補助化学療法と会社への復帰」
- 第6話「肝臓への転移」
- 第7話「中途半端なプロポーズ」
- 第8話「悪化してきた黄だん」
- 第9話「低い5年生存率。人は人。自分は自分」
- 第10話「人は人。自分は自分」
- 第11話「続くだるさと下痢」
- 第12話「荒波にもまれた10年」
第3話「グループ5に近いポリープ」
2007年に入りトイレのたびに出血し貧血症状も出てきたため総合病院に行った神奈川県海老名市在住の森島俊二さん(46歳、2007年当時37歳)は、医師から痔ではないと言われる。1週間後に大腸内視鏡検査を受けたらみるからに悪性と言われさらに検査する必要がでた。
医師は詳しく説明してくれた。
ポリープはグループ「0」から「5」まであり、「0」は良性「5」は悪性。
その医師が画像を観るからに「5」に近いのだという。
でも病理検査に出さないと最終的な判断がつかないし、更にいろんな検査も必要と説明された。
両親は森島さんと同様に静かに聞くのみだった。
ただ森島さんはというと自分の大腸の画像をまるで顕微鏡でミトコンドリアでも観察しているかのように眺めていた。昔から図鑑が好きで理系特有の興味と好奇心。
「自分のお腹の中にこんなものができていたんだ」という感想だった。
3人で自宅に戻るとそれまで静かだった母親から「ちょっと大変なことになっちゃったね」と寂しそうに言われる。
森島さんは「悪いことをしちゃったかな。もっと早く病院に行けばよかった」心の中でそう思う。
親を心配させたことで負い目を感じた。
休みが明けて会社が始まるとさっそく上司に報告した。
これから色んな検査をしなくてはならないので会社を休みたいと伝えたのだ。
そして8月に入り1週間程度休み、病院ですべての検査を受けた。
CT画像検査、超音波検査、腸にバリュウムを入れて撮影する注腸検査、血液検査、MRI…
食事をとれない検査も幾つかあり、1週間で結構やせてしまった。
そんな息子をそばで見ている両親の心配は募る。
2007年夏・お盆前
病院から検査結果の報告があるというので向かった。外来で呼ばれ担当医の診察室に一人で入る。
「病理検査の結果、がんでした。S状結腸にがんがあります。なるべく早く手術して取った方がいいですよ。この病院でもできますがどうしますか?」
手術は腹腔鏡で行うと説明され、10日間程度の入院で2週間から1カ月もすれば仕事に復帰できるという。
「ぜひ手術をお願いします」
がんという言葉に落ち込むというよりも、むしろ会社にすぐ復帰できる喜びの方が大きかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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