S状結腸がん ステージ3a→ステージ4、肝転移 サバイバー 森島俊二さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】森島俊二さん 大腸がん(S状結腸がん) 肝転移 ステージ4 サバイバー
- 第1話「36歳での健康診断」
- 第2話「便潜血検査陽性から大腸内視鏡検査」
- 第3話「グループ5に近いポリープ」
- 第4話「腹腔鏡によるS状結腸がん切除」
- 第5話「術後の補助化学療法と会社への復帰」
- 第6話「肝臓への転移」
- 第7話「中途半端なプロポーズ」
- 第8話「悪化してきた黄だん」
- 第9話「低い5年生存率。人は人。自分は自分」
- 第10話「人は人。自分は自分」
- 第11話「続くだるさと下痢」
- 第12話「荒波にもまれた10年」
第9話「低い5年生存率。人は人。自分は自分」
大腸がんの肝転移手術のあと再び元の生活を取り戻していた神奈川県海老名市在住の森島俊二さん(46歳、2012年当時41歳)だったが、2012年1月に「黄だん」が発症して1ヵ月半の入院をする。原因は大腸がんの2度目の転移によりリンパ節が腫れあがり胆管を押しつぶしているためと考えられた。
3月上旬に退院した森島さんは今後の治療方針について意見を聞きたくて再び国立がん研究センター中央病院を訪れた。
肝胆膵外科医によるとそのリンパ節は太い血管の近くにあるため手術はできないという。
相模原市の総合病院と同じ意見だった。
今後は抗がん剤治療のみということだった。
この頃の森島さんはとても弱気になっている。
なぜなら黄だん症状がでた大腸がん患者のブログにはあまりいいことが書いてなかったからだ。
しかもインターネット上の情報サイトにある5年生存率は高くない。
たまらず国立がん研究センター中央病院の医師にぼやいた。
「先生、(私のように)ステージ4だと5年生存率が15%と書いてあるんですが…」
即座に反応した医師は強くはっきり言い返した。
「君は君なんだから、他人とは違うんだから。世間一般の数字なんか気にすることはないじゃないか!」
そう言われ嬉しかった。
確かにそうだ。あんまり数字にこだわらないようにしよう。
もうブログは読まない。
「人は人。自分は自分」そう思うように決めたときだった。
そして4月から抗がん剤(FOLFOX+パニツムマブ)治療が始まった。
悩ましかったのは通常であれば胸にCVポートを設置して通院か在宅による抗がん剤治療になるところだったがそれができなかったことだ。
森島さんの場合、1回目の投与で皮膚障害がひどく出てしまい、CVポートがあけることができなかった。
だから3週間ごとに3日間入院して点滴で治療することになる。
これが森島さんのサラリーマン人生に大きく影響した。
コマ切れの出社になるし体調が悪い日も多い。
自ら依願して長期の休職扱いにしてもらうことにした。
給料が出ない代わりに傷病手当が出るのだが社会保険料や税金などを会社に収めなくてはならない。
収入は減ってしまったが、なんとかやりくりできた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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