慢性骨髄性白血病(CML) サバイバー藤田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤田誠二さん 慢性骨髄性白血病(CML)
- 第1話「献血ルームでの予備問診」
- 第2話「白血球の数と腰の痛み」
- 第3話「血液の数値異常。大きくなる不安」
- 第4話「血液検査結果報告書」
- 第5話「慢性骨髄性白血病の疑い」
- 第6話「骨髄穿刺」
- 第7話「仕事への復帰と治療の継続」
- 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」
- 第9話「誰かのヒーローに」
第7話「仕事への復帰と治療の継続」
骨髄穿刺(こつずいせんし)により慢性骨髄性白血病の診断がおりた福岡県直方市在住の藤田誠二さん(41歳、2014年当時38歳)は、抗がん剤治療を受けるために3月に入院した。
この入院は分子標的薬「スプリセル」の効果と副作用を診るために行われた。医療機関の中には入院無しで治療を開始する場合もあるようだが、慎重な医師たちは藤田さんに入院しての治療開始を勧めた。
そして「スプリセル」を服用した初日「ああ自分は本当にがん患者になったんだな」と改めて感じた。
入院中の藤田さんは退屈だった。
なぜなら下痢とだるさがあったくらいで重篤(じゅうとく)な副作用は出なかったからだ。
“効果があり、副作用が少ない”
素晴らしい結果から予定を早めて2週間で退院となる。自宅に戻り3月いっぱい休職し体調を整えてから仕事に復帰した。
分子標的薬はよく効いた。白血球の数値は正常に戻り、治療開始以降みてきた指標も順調に下がる。
藤田さんがイメージしていたがん患者の闘病とは異なり、手術をしない、抗がん剤で髪の毛は抜けない、そんな自分の治療を不思議に思っていた。
また「白血病」という“がん”なのに普通の生活を送れることに表現のしようのないありがたさと幸福感を感じた。
主治医にそのことを伝え感謝の気持ちと信頼していることを伝えるとこう返された。
「僕じゃなくて、薬を信頼してください。病気を治すのは私たち医者じゃなくて、薬なんですから」
その言葉を聞き、主治医への思いをさらに熱くする。
4月から復職しまた普通に会社に行き仕事をする生活を取り戻したが、周囲には自分が慢性骨髄性白血病の患者であることを伏せておいた。
家族以外の他人に同情されたり、哀れみの目で見られるのが嫌だったからだ。
薬のおかげでがんの進行が抑えられ、結果的に毎日会社で仕事ができる自分だが、がん患者には変わりない。
いつか“がん”が薬に耐性を持ち効かなくなる日が来るかもしれない。
そうなったら大量の放射線を照射して骨髄移植を試みる場合もあり得る。
だからいつまで経っても不安はぬぐえない。
いろんな気持ちがごっちゃ混ぜになり心が整理できていないいま、自らの病気を積極的に周囲に打ち明けるなんてできない。
一方で、隠しているからまた自分がつらくなる。
そんな毎日が1年も続いた。
次のページを読む >> 第8話「隠し続けてきた“がん”を明かしたこと」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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