甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小西麻子さん 甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージ2
- 第1話「妊娠中の副鼻腔炎」
- 第2話「甲状腺の腫れの意味」
- 第3話「母として、妊婦として、システムエンジニアとして」
- 第4話「出産間近で始められない治療」
- 第5話「3人の育児と多忙な日々と手術」
- 第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
- 第7話「甲状腺の全摘手術へ」
- 第8話「肺への転移と3回目の手術」
- 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
- 第10話「長く続いた治療から日常へ」
第10話「長く続いた治療から日常へ」
2014年に甲状腺がん発症し甲状腺の全摘手術、更に肺に転移したがんの手術を受けた大阪府豊中市在住の小西麻子さん(36歳、2014年当時33歳)は、“放射性ヨウ素内用療法”を受けた。
治療の後、シンチグラフィー検査で画像を確認した。
破壊された甲状腺がんの跡が黒く映し出されている。
「先生、この治療はいつまで続くんですか?」
そう聞く小西さんに対し担当医は、この黒いのが映らなくなるまで続くという。
転移のある甲状腺がんの治療としては標準的と説明された。
患者によっては10年以上のケースもあるらしい。
年に1回程度の頻度で行われるというが治療準備期間を含め体調が悪くだるくなる。
人と会えない3週間は仕事に穴をあけてしまう。
何より幼い3人の我が子たちに会えないのは本当につらい。
「ママはびょうきだから、ちゃんと治療しなくちゃいけないんだ」
幼いながらにそう理解してくれているというが子供にとってもつらい治療だ。
そして2016年11月14日、2度目の放射性ヨウ素内療法が行われた。
娘たちは、7歳、4歳、2歳。
がんを発症したとき生まれたばかりだった三女は2歳になっていた。
再び家族と引き離され隔離病室での治療が行われた。
それから…、1ヵ月後。
最高のニュースが小西さんに届く。
画像検査の結果、がん細胞の跡らしきものは何も映らなかったというのだ。
つまり、これで放射線ヨウ素内療法は終わり。
今後は経過観察に移るという報告だった。
長かったがん治療が終わった…。
ママの忍耐力とねばりが病気に勝った。
小西さんのスマホにはかわいらしい娘たちの写真が山ほどある。
楽しみの一つは長女と次女の髪の毛をとかすこと。
くしで縦にとかす。
天然の「たてロール」のきれいな髪で、まるでかつて週刊マーガレットに連載された「エースをねらえ!」に登場するお蝶婦人のような髪だという。
それを知った義理の祖父は「わしの髪と同じや~!」と大喜びしている。
愛くるしい娘たちに可愛らしい洋服を着せるのも楽しみの一つ。
自称「コスプレ」と呼んでいる。
いま「たこ焼き」を食べると心底「落ちつくわー」と感じる。
あの大変だった状況から脱して、かけがえのない日常を取り戻しつつある。
子育て、家事、仕事、フットサル…、「治療」という言葉がその中にない。
そんな忙しい毎日に戻っている。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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