【インタビュー】甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移 ステージ2 小西麻子さん

甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのインタビューです。

目次

小西麻子さんの基本情報

名前: 小西麻子さん >>5yearsプロフィール
年代:  30代、女性
病名:  甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移
進行:  ステージ2 T3N0M1
発症:  不明 告知は2015年2月(34歳)
治療:  手術(右甲状腺摘出、甲状腺補完全摘、左肺部分切除、右肺部分切除)、放射性ヨード治療、TSH抑制療法
期間:  2015年1月~
合併症: 医原性甲状腺機能低下症
職業:  システムエンジニア
生命保険:  オリックス生命、メディコム(セコム がん保険)

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最初の副鼻腔炎は、誤診ではなかったのでしょうか?

誤診ではなかったです。甲状腺の問題と発熱や鼻水とは全く関係ないようでした。逆に副鼻腔炎がひどくなければ、甲状腺の腫れに気付くのがもっと遅れたと思います。
ただ、右甲状腺(原発腫瘍)の摘出までは風邪をひくことがいつもよりかなり多かったです。

当初、甲状腺が腫れているのになかなか診断が下りませんでした。その時のお気持ちは、いかがでしたか?

医療が発達した今でも「とってみないと診断ができない」ということがまだあるんだなという妙な感心でした。また、パソコンやサーバの修理を仕事でしていたときによく「実際に見てみないとわからない」「修理してみないとわからない」ということがよくありました。人体とパソコンは全く違うものですが、そういう共通する感覚があったのだと思います。あとはわからないのなら取ってみるしかないという気持ちです。

甲状腺に針を刺して細胞診を行うと治療の怖さについて教えてください。

私は注射や採血など結構針を刺すところをじっと見ることが多いのですが、それが見られないのは不安でした。どれぐらいの太さの針を刺すのか、どれぐらいの深さに刺すのか、どのあたりに刺すのか全く分からくて怖かったです。でも、3回目ともなると慣れてきてあまり怖くなくなっていました。

インターネットで病気の情報検索をして悪性腫瘍の可能性を見つけた時のお気持ちを教えてください。

まさか自分が悪性腫瘍だなんて思ってもみませんでした。好発年齢からもかなり外れていますし、医師からは「必ずしも悪性とは限らない」と説明でした。あまり深刻には受け止めていなかったことと、がん保険にも入ってるし、大学病院からも近いし「最高の医療を受けられる」し、「この私がこんなところでがんになるわけがない」という妙な自信がありました。

妊娠中の病気患者の大変さについて、教えてください。

ひとつは使える薬、できる検査に制限があることです。もう一つは妊娠中や出産、産後にどんなトラブルがあるか、またそれが明日来るのか、1週間後に来るのか、まったく来ないのか全然読めないことです。

甲状腺を全摘する治療方針を聞かれて、どのように感じられましたか?

一つの臓器を全部とってしまうということですから、少し重いなと思いました。それでも全摘する不安と全摘しない(治療を進めない)不安を考えたときに、やはり全摘を選ぶしかないなと思いました。

肺への転移を伝えられた時の心境を教えてください。

肺転移については全摘後の入院中に伝えられました。主治医3人に私1人でした。
 先生方はすごく深刻そうな感じで、楽観的な自分が逆に申し訳ない気持ちでした。治療する方法があり、大きなQOLの低下はないと聞いていたので、あとは肚をくくって治療を進めるだけだなと思いました。

がん治療中のときの小西さんにとって仕事とは、どのようなものでしょうか?

仕事は子どもの次に生きがいです。仕事ができることのありがたさを強く感じました。
小刻みに復帰しながらでしたが、その短い期間ながら仕事を任せてもらえたことはとてもうれしかったです。

がん治療中の小西さんにとって子育てとは、どのようなものでしょうか?

子育ては仕事以外の生活の大部分を占めています。生活と子育てはニアリーイコールです。子どもたちはまだ幼いので「心の安全基地」としての母親の存在はとても大きいと思います。「ママは必ず帰ってくる」という安心感が与えられるようにすることを大切にしてきました。

治療期間中、ご家族の存在とは、どのような存在ですか?

帰ってくるのを待っている家族がいることは大きいと思います。
同居の両親は二人とも持病があり、その持病と死ぬまで付き合っていかなければなりません。そういう意味では「病気とうまく付き合っていく」という生き方があることを両親から学んでいたのだと思います。子どもたちにも障害を越えていく姿勢を示すことができたら良いなと思います。
主人にはなんかいろいろ背負わせてしまって申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

4回の手術、長期間の闘病、当時どのようなことを考えられていました?

自分が良いと思うように治療を進めていくのだという強い意志がありました。
まず、我慢せずに好きなことをしようと思いました。私は無類の本好きですので、入院中はほとんど読書をして過ごしました。結構スイーツも食べました(笑) 入院の合間にフットサルしたり、大好きなB’zのライブに行ったり、家族で京都に抹茶パフェを食べに行ったり、本当に様々な好きなことをしました。

放射性ヨウ素内療法(=ヨード医療)の大変さについて、教えてください。

ヨード治療には大変なことはいろいろありますが、特に以下の3つが大変でした。1つ目はヨード制限食、2つ目は体調不良、3つ目は治療後の他者へ被ばくの恐れがあることです。
1つ目のヨード制限食ですが、簡単そうに聞こえてかなり大変です。海藻類が厳禁なのですが、海藻類を由来とした添加物はかなり多いのです。出汁NGも結構重かったです。
2つ目の体調不良は、2週間前から甲状腺ホルモンの補充をやめてしまうため、甲状腺機能低下症になってしまいます。外からはあまりわからないようなのですが、けっこうすぐに疲れてしまい、集中力も続かないし、やる気もでない状態になります。
3つ目の他者への被ばくの恐れについては、特に子どもや妊婦さんに影響があるとのことなので、治療後子どもと離れて過ごすことが精神的に辛かったです。

ご自分は、なぜ、がんサバイバーになれたと思いますか?

「自分はこんなところで死んでよい人間ではない」と信じています(笑)。
 あとは、迷わないことです。

小西さんは、なぜこれほど明るく(暗くならず)治療に取り組めたのですか?

母は私が14歳のとき、5年後の生存率が50%、10年後は20%と言われました。もうすぐ病気がわかって23年、まだ生きています。
他にも大病を患いながら、病気とうまく付き合いながら自分の好きなことを仕事にしている方を何人か知っています。
甲状腺濾胞癌ステージIIの5年後生存率は100%です。濾胞癌全体でも10年後の生存率は85%です。さらに若いほど治りやすい癌です。必ず治るという自信がありました。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】
がんサバイバーという新しい視点 本に溺れる時間
【失ったもの】
甲状腺 住宅ローンの借り換えをするタイミング

大切にしている言葉

「今も後もこのことを記憶せよ。人生は空夢にあらず。永遠を基とし、永遠に囲まれてある尊い実在なることを」

現在治療中の方々に伝えたいこと

「なぜ自分がこんな病気になったのだろう」とか「〇〇しておけばよかった」とか、過去を振り返るだけではなく、それを踏まえて「これから何ができるか」を考えるべきだと思います。その方が楽しいし、建設的です。

いま、やられていること、今後、やろうとされていること。

がんサバイバー、がんサバイバー支援者のためのフットサルチームを作ろうと思っています。活動の幅を広げたいです。
あと、ブログでなるべくリアルタイムに情報を公開するようにしています。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 悲観的になること、感情的になること
  2. 迷うこと
  3. なぜ癌になってしまったのか理由を考えること

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 自分の病気と治療について正しい理解をすること
  2. 自分の好きなことをすること
  3. 他者の言葉に惑わされず、自分と主治医を信じること

当時参考にした本・情報

隈病院
https://www.kuma-h.or.jp/

伊藤病院
https://www.ito-hospital.jp/

Wikipedia 甲状腺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA

目で見るからだのメカニズム
https://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=5010
大学の授業で使っていた本です。今は絶版のようです。

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取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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