甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小西麻子さん 甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージ2
- 第1話「妊娠中の副鼻腔炎」
- 第2話「甲状腺の腫れの意味」
- 第3話「母として、妊婦として、システムエンジニアとして」
- 第4話「出産間近で始められない治療」
- 第5話「3人の育児と多忙な日々と手術」
- 第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
- 第7話「甲状腺の全摘手術へ」
- 第8話「肺への転移と3回目の手術」
- 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
- 第10話「長く続いた治療から日常へ」
第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
甲状腺がんの治療のため2度にわたる首の手術を受けたあと、肺に転移したがんの手術を2回受けた大阪府豊中市在住の小西麻子さん(36歳、2014年当時33歳)は、その後、“放射性ヨウ素内用療法”を受けることになった。
この放射性ヨウ素内用療法は、準備期間から身体がだるくなる等つらい治療だが、特に精神的にきつい。
なぜなら放射性物質を体内に取り込むため周囲の人が被ばくしないように患者のみが隔離された病室に閉じこもりきりにされる。
「隔離病室」にいる間は、まるでサスペンス映画の囚人(しゅうじん)のように別管理され人との接触が断たれる。
食事も壁の向こうを介して配給され、小窓におかれた食事トレイを届けてくれた人が去ったあと受け取る。医師との会話も壁を挟んで行うという徹底したもの。
まさに独房のくらしそのものだ。
当然、家族の見舞いはありえない。
小西さんは隔離病室の中に持ち込んだスマホのテレビ電話機能で3人の子供たちと話すのが唯一の楽しみだった。
「もう時間だから切るね」というときはいつも子供たちに泣かれてしまい切ない。
入院自体は3~4日だが、退院後もさらに2週間ほど子供たちとの接触が禁じられる。
だから、一人暮らししている妹の家にやっかいになる。
すべては子供たちが小西さんの身体を通じて被ばくすることが無いようにするためだ。
この間は精神的につらい。
子供たちは幼いからママを必要としている。
特に三女に関しては、まだ1歳なのに。
でもこれを乗り越えていかないと治療の終わりが見えてこない。
だから我慢する。
家族のため、そして自分のためにすべてを乗り越えていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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