【ストーリー】加藤由正さん 直腸がん ステージ3 サバイバー

進行性大腸がん(直腸がん) ステージ3 サバイバー 加藤由正さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】加藤由正さん 直腸がん ステージ3 サバイバー
  2. 第1話「40歳。便潜血(+)陽性反応」
  3. 第2話「56歳。2年連続で陽性反応」
  4. 第3話「人間ドック」
  5. 第4話「大腸内視鏡検査~直腸がんの診断」
  6. 第5話「セカンドオピニオン」
  7. 第6話「進行性大腸がん(直腸がん)、ステージ3A」
  8. 第7話「超低位前方切除術」
  9. 第8話「手術後」
  10. 第9話「7年目を迎えて」

第7話「超低位前方切除術」

2010年、進行した直腸がんで人工肛門はやむを得ないと告げられた埼玉県所沢市在住の加藤由正さん(65歳、2011年当時57歳)は、その後、国立がん研究センター中央病院で進行性大腸がん(直腸がん)ステージ3Aと評価される。2011年5月に手術(超低位前方切除術)を受けることになった。

2011年5月14日、ゴールデンウィークが過ぎた新緑がまぶしい頃、加藤さんは手術を受けるため、国立がん研究センター中央病院に入院。
病院のスタッフに案内され15階にある4人部屋に行くと角の窓際だった。
そのベッドから眺めた外の景色が素晴らしい。
レインボーブリッジ、お台場にあるフジテレビ本社、東海道新幹線、そして汐留の高層ビル街。
「なんか、まるでホテルに来たみたいだなー」そんな感想を漏らす。

明後日が直腸がんの手術だと言うのに緊張感もなく、ゆったりとした第一印象で入院が始まった。
そして翌々日、手術着に着替えた加藤さんは、妻と次女が見守るなか車椅子に乗り、オペ室に向かった。
手術室に入ると、医師と看護師たちが早速、手術の準備をしている。
海外から勉強に来ている外国人の医師たちも見学している。
やがて静かな感じのクラッシク音楽がスピーカーから流れ、麻酔で眠りに落ちた。

確か夕方5時を過ぎた頃だ。
処置室のような部屋で目が覚めた。
「手術、上手く行きましたから」看護師にそう言われたのを覚えている。
そして、肛門は温存されていた。

翌日、5月17日。
看護師から「体重を計りたいのですが、ナースステーションまで歩けますか?」と聞かれる。
頑張り屋の加藤さんは、やってみようと思い、点滴棒を持って立つと意外に歩けて嬉しくなる。
歩いて5mほどの距離だったが、「こういうことが自信になる」そう感じた。

それからは回復を早めるために、なるべく病院内を歩くようにと看護師から勧められ、点滴棒を相棒に病棟内をたくさん歩いた。
一方、食事はというと、未だ食べられず点滴による養分補給だったが、それでも便が出てくる。
手術をしたので、パッド(紙おむつ)をしているのだが、直腸を切除しているため便意を催さない。
しかも、肛門至近位置の手術のため肛門の開け閉めの自己コントロールもできない。
だから、自然と便が出てきてしまう。
入院病棟でシャワーを浴びている時、自然と便が出てしまい、情けなく感じ、直腸がん患者を実感した。

手術から8日後の5月24日、誕生日の日。
バースデープレゼントかのように流動食が開始される。
ただ、固まっていない水下痢のような便が1日に9回も出た。
いよいよ、ここからがスタートだ、そんな想いで向き合った。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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