進行性大腸がん(直腸がん) ステージ3 サバイバー 加藤由正さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】加藤由正さん 直腸がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「40歳。便潜血(+)陽性反応」
- 第2話「56歳。2年連続で陽性反応」
- 第3話「人間ドック」
- 第4話「大腸内視鏡検査~直腸がんの診断」
- 第5話「セカンドオピニオン」
- 第6話「進行性大腸がん(直腸がん)、ステージ3A」
- 第7話「超低位前方切除術」
- 第8話「手術後」
- 第9話「7年目を迎えて」
第4話「大腸内視鏡検査~直腸がんの診断」
40歳の年に受けた健康診断で、便潜血サンプルの一つに陽性反応が認められたが、その後の再検査で問題は見つからず安心していた埼玉県所沢市在住の加藤由正さん(65歳、2011年当時57歳)は、55歳から3年連続で再び陽性反応が出ていた。2010年は、娘にせかされて再検査を受けることにした。
2011年1月、加藤さんは、再検査のために所沢中央病院に出かけ、大腸内視鏡検査を受ける。
この日、検査を受ける男性が6人ほどいて、それぞれに2リットルの下剤(ニフレック・腸管洗浄剤)が渡された。
加藤さんもがんばって下剤を飲んではトイレに行くを繰り返し、準備ができたところで検査室に入った。
検査着を着て検査台の上に横たわる。
担当したのは、機械操作に手慣れた感じの若い男性医師だった。
大腸内視鏡検査が始まって程ない頃だ。
若い医師が「エッ!」と言う。
そして近くにいた看護師に主治医を呼んできてほしいと指示を出した。
17年前の検査の時とは違う雰囲気で、明らかに大腸に異変がある。
前日に問診を行った主治医が検査室に来ると2人の医師でモニター画面を観ながら「あー、これだあ」と言っている。
ただ、加藤さんは意外と落ち着いてそのやり取りを聞いていた。
その後、淡々と検査は終了し、結果は、1週間後に知らされるという。
自宅に戻った加藤さんは、検査中の医師たちのやり取りを家族には知らせず、翌週結果が解るとだけ報告。
それから普通に会社に行き、普通に仕事をこなしていた。
不思議とどこか、達観している自分がいた。
40歳の時、便潜血検査・陽性が出て心配した時とは色んなことが変わっている。
あの時は、まだ娘たちも幼かったし、自分も若かった。
でも今、子供たちは成人しているし、自分は定年間近。
まだ、何もわからないことだし、それをあれこれ考えて不安になっても仕方がないと思っている。
そして1週間後、所沢中央病院を再び訪れ主治医のいる診察室に入った。
40代の男子医師は加藤さんが椅子に座るなり、こう言う。
「加藤さん、がんですね。直腸がん。肛門から2cmくらいの所で、直径4cmのがん。これ開腹手術ですね」
重苦しい口調ではなく、ポンポンとハッキリ、てきぱきと説明された。
「えー」とは思うものの、余りにあっさり、良い感じのスピードで話されるので、思考が追い付かない。
「すぐに検査入院の予定を入れますから」そう言われ、翌週の外来が予定された。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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