炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原田祐子さん 炎症性乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「左胸の張り」
- 第2話「炎症性乳がん?」
- 第3話「がん告知。転移。手術不能。」
- 第4話「抗がん剤治療の開始」
- 第5話「抗がん剤の副作用」
- 第6話「転院のための病院探し」
- 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
- 第8話「最後の治療を終えて」
第8話「最後の治療を終えて」
2016年に炎症性左乳管がん(ステージ3b、リンパ節転移、浸潤性乳管がん)と言われ、豊田厚生病院で抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)を受け、その後、名古屋市立大学病院で抗がん剤治療(パージェタ、ハーセプチン、ドセタキセル)を受けた愛知県みよし市在住の原田祐子さん(51歳、2016年当時49歳)は、全8クールの治療を終えた。その後放射線治療を受けて、12月に自宅に戻った。
この頃になると原田さんの生活はかなり安定していた。
抗がん剤治療を受けていないので体調は悪くない。
また、入院中、友人たちが見舞いにきてくれて、何気ない話をしてくれた。
それにとても癒される。
しかも、食事制限をせず、普通に食事をとっていたのでストレスも減っている。
一時は「なぜ、がんになってしまったのだろうか?」と悩んだが、そんなことを考えていても仕方がないことだ…と心の整理がつきスッキリしていた。
とても、たくましい自分に成長しているのだ。
退院後、しばらく自宅で静養していたが、12月28日、予定通り、名古屋市立大学病院で、ハーセプチン単剤での抗がん剤治療を受け始めた。
「最後の治療だ」そんな想いでがんばった。
この治療を合計6クール、18週間行い、2017年4月14日に終了。
すべてやり終えた時、何とも言えぬ解放感を感じた。
乳がんは原田さんの人生の一つの転機になった。
自らのがんを友人に伝えると、親身になってくれる友達は多かったが、逆に距離を置き出した人もいた。
一方、これまでさほど仲が良くなかった知人が、親近感を覚えたと、その後、仲良くなったケースもある。
すべての治療を終え、いま再発の不安が無いと言ったら嘘になる。
でも、そんなこと考えても仕方がない。
積極的に行動し、出かけて人と会うことにより不安を減らすことができるようになっている。
自分の心の内面をコントロールすることが、少しずつできるようになってきたのだ。
いま、ヨガを楽しんでいる。
通称“乳がんヨガ”
インストラクターの先生が乳がん経験者で参加者たちも全員乳がん経験者。
だから安心できるし、共感できる部分が多い。
明るく、元気な仲間が増えて嬉しい。
2017年4月17日、会社の朝礼で挨拶をした。
乳がんの治療を受けてきたことを従業員に明かし、今後は楽しいことを中心に考えて前向きに生きてゆくと伝えると大きな拍手を受けた。
こうして復職を果たす。
自分の経験を活かしたくて、民間の団体ではあるが「がんピアサポート」の資格取得に挑戦した。
E-learningで全18回の講義を受けた後、インターネット上で認定試験を受けたが、残念ながら不合格。
「(わたし)完全になめていたわ…(笑)」と明るく笑っている。
今年のゴールデンウィークには、がんから2年の記念日がやって来る。
試練を乗り越え、再び社会に戻っている原田さんだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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