炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原田祐子さん 炎症性乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「左胸の張り」
- 第2話「炎症性乳がん?」
- 第3話「がん告知。転移。手術不能。」
- 第4話「抗がん剤治療の開始」
- 第5話「抗がん剤の副作用」
- 第6話「転院のための病院探し」
- 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
- 第8話「最後の治療を終えて」
第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
2016年に炎症性左乳管がん(ステージ3b、リンパ節転移、浸潤性乳管がん)と言われ、抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)を開始した愛知県みよし市在住の原田祐子さん(51歳、2016年当時49歳)は、その後、名古屋市立大学病院に転院し、抗がん剤治療(パージェタ、ハーセプチン、ドセタキセル)を受け9月に7クール目を終えた。
9月24日、CT画像検査を受けた。
その結果、医師からこう言われる。
「良い結果です。もともと10cm以上あった腫瘍が、抗がん剤治療で2cmくらいまでに小さくなりました。これなら手術できます」
“手術できる”
本来ならとても嬉しいはずの知らせだ。
なぜなら、原田さんは5月に炎症性左乳管がんの告知をうけた時、大きすぎて手術できないと言われ落胆した。
それ以来、がんを小さくして悪いものは取ってもらいたいと抗がん剤治療をがんばってきたからだ。
だが、これほど薬が効きがんが縮小したのなら手術以外の方法は無いか…、そんな事を思い調べていた。
すると、神戸の大きな病院で放射線治療を行っている医療機関があった。
詳しく調べるにつれ興味を持ち出す。
そのことを担当医に伝えると手術が治療の第一選択であるとして口論になってしまう。
それでも、第8クールまで抗がん剤治療をこなし全ての治療を終えた。
原田さんは主治医に一旦放射線治療を受けるが、その後、ハーセプチンのみの抗がん剤治療を受けたいと申し出て了承される。
10月19日、抗がん剤治療を終えた後の評価を診るためにMRIとPET-CT検査を受けた。
すると…、腫瘍の影はすべて消えているという。
抗がん剤の素晴らしい効果だった。
“これで、結構安心できる…”そう感じた。
神戸の病院での放射線治療は入院して行うもので、11月11日に開始して12月6日に退院。
その後、自宅のある愛知県に戻った。
次のページを読む >> 第8話「最後の治療を終えて」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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