炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原田祐子さん 炎症性乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「左胸の張り」
- 第2話「炎症性乳がん?」
- 第3話「がん告知。転移。手術不能。」
- 第4話「抗がん剤治療の開始」
- 第5話「抗がん剤の副作用」
- 第6話「転院のための病院探し」
- 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
- 第8話「最後の治療を終えて」
第6話「転院のための病院探し」
2016年4月に豊田厚生病院を訪れ生検を受けた結果、炎症性左乳管がん(ステージ3b、リンパ節転移、浸潤性乳管がん)と言われた愛知県みよし市在住の原田祐子さん(51歳、2016年当時49歳)は、抗がん剤治療(ハーセプチン、パージェタ、タキソテール)を受けていた。
2016年7月7日、名古屋市立大学病院・乳腺外科。
診察室に入ると40代の眼鏡をかけた男性医師が座っていた。
話しやすい感じの医師だ。
事情を説明すると、後半の治療はこちらで引き受けると了承してくれた。
原田さんは、それを受け、豊田厚生病院に戻り報告すると、女性医師も方針に同意した。
7月12日、ここまでの治療効果を診るためにCT画像検査が行われた。
その結果「治療前よりも腫瘍が小さくなっています。抗がん剤が効いています」そう言われ、報われた感じがした。
治療効果が出ていることが素直に嬉しいし、少し光が見えてきたようで安心した。
それを夫に知らせると、とても喜んでくれ「よかった」そう言っていた。
これを機に原田さんは会社の部長・室長クラスの幹部4人にがんを明かす。
少し気持ちがスッキリした。
また、岐阜県に住んでいる両親にも電話で伝えた。
しかし…、娘から、突然、乳がんと知らされた母親は電話口で泣き出す。
「えー、どうして…、どうして?どうして、そんなことになっちゃったんだろう…」
正解のない疑問を繰り返し、がんと言う事実に驚き、悲しみ泣くだけだった。
そばにいた父親は「(おれが)代われるもんなら、代わってあげたいよ」と嘆く。
3人とも涙が止まらなかった。
第5クールからは、名古屋市立大学病院で治療を受けることになり、8月3日に開始。
同じ治療だが、薬品が一部替わり、パージェタ、ハーセプチン、ドセタキセルの3種類の抗がん剤が投与された。
原田さんの治療は順調に進んでいたが、抗がん剤の副作用はつらかった。
足がむくんで靴が履けない。
肌にアレルギー症状が出ていたので、化粧をすると顔が腫れる。
相変わらず下痢が続き、手足の指はしびれている。
自分で決めて食事制限をして治療に臨んでいた原田さんは、体重が10kgも減っていた。
さまざまな副作用に苦しみながら、毎日の生活を淡々とこなし、9月14日、ついに第7クールを終えた。
次のページを読む >> 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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