炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原田祐子さん 炎症性乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「左胸の張り」
- 第2話「炎症性乳がん?」
- 第3話「がん告知。転移。手術不能。」
- 第4話「抗がん剤治療の開始」
- 第5話「抗がん剤の副作用」
- 第6話「転院のための病院探し」
- 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
- 第8話「最後の治療を終えて」
第2話「炎症性乳がん?」
愛知県みよし市在住の原田祐子さん(51歳、2016年当時49歳)は、2016年に左の胸が、右胸に比べて大きく、赤くなり、そして固くなっているのを見つけた。
熊本から自宅に戻ったころ、原田さんは大事なことに気づく。
「そう言えば、(今月の)生理が来ても左胸の張りがひいていない…。きっと、何かの病気なんだろう…」
不安になりインターネット検索を始めた。
ばい菌が入ると炎症を起こす「乳腺炎」が浮かび上がってくる。
しかし、納得できず、もっと不安になる。
一方、原田さんは、ここ2年、毎年乳がん検診を受けていた。
2014年に超音波検査、2015年はマンモグラフィー。
でも、乳がんの疑いは指摘されなかったから、それではないのではと思っている。
左胸は、赤く、固く、全体的に張っている感じ。
(子供の)ママ友で保健師をしている友人に相談し、豊田厚生病院を訪れた。
2016年4月26日、豊田厚生病院・外科。
名前を呼ばれて診察室に入ると、50代の女性医師が座っていた。
ハキハキと話す人で頼りになる感じがする。
乳腺を専門にする医師で、週に2日間、この病院に来て診察しているという。
触診、血液検査、そしてCT画像検査の結果をみて、
「う~ん、ばい菌か何か入いちゃったんじゃないかなあ。でも、細胞診(生検)をしましょう」
そう言って、原田さんを診察室の中にあるベッドに案内した。
診療ベッドの上で横になっていると、左胸に針を刺され「痛い!」と感じたが、一方で、
「これで解かるんだ」そう思った。
2日後にも追加の検査を予定され、1週間後にすべての検査結果が伝えられることになった。
乳がんの可能性…、もし乳がんだったら、普通は、しこりが胸にでき自分でもわかると思う。
でも、原田さんの場合しこりではない。だから一体何だろう?と不安になる。
そんな不安な気持ちを、原田さんは一人で抱えていた。
夫は仕事で忙しく、話をする機会がなかなか無い。
心の中で悶々としながらインターネット検索を続けていると、
「炎症性乳がん」という病名が現れてきた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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