子宮体がん(類内膜腺がん、頸部浸潤あり) ステージ2b サバイバー 谷口薫さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】谷口薫さん 子宮体がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「子宮頸がんのキャンペーン」
- 第2話「子宮頸がん検診へ」
- 第3話「子宮体がん再検査」
- 第4話「3回目の細胞診」
- 第5話「がん宣告」
- 第6話「医師とのコミュニケーション」
- 第7話「セカンドオピニオン」
- 第8話「再度のセカンドオピニオン」
- 第9話「医師との信頼関係」
- 第10話「子宮全摘出手術」
- 第11話「2度目の手術。後腹膜リンパ節郭清」
- 第12話「経過観察へ」
- 第13話「独り立ちしたビジネスウーマンに」
第2話「子宮頸がん検診へ」
子宮頸がんのリスクを意識していた神奈川県横浜市在住の谷口薫さん(51歳、2005年当時39歳)は、2007年から女性向け専門のクリニックで子宮頸がんの検診を受けていた。
オペレーターとは呼ばず、「コミュニケーター」と呼ばれるテレマーケティングの専門職。
話す能力、会話を書きとるスキル、ブラインドタッチと自分ができることが増えていく。
週3日勤務の仕事ではあったが、自分が成長している実感があり素直に嬉しかった。
ただ、この業務はクライアントの都合で数ヵ月から数年おきに異動があった。
それまで横浜のみなとみらいの中で異動していたが、2010年に職場が新横浜に異動になった。
「短い期間で職場や勤務地が替わる仕事よりもっと長期で考えよう…」
そう思い、2011年に派遣会社に登録し自動車販売会社で週4日間働く仕事に替えた。
そんな頃だ…。
友人とお茶をしていたとき、こう言われる。
「子宮頸がんと子宮体がんは別の病気だから、子宮体がんの検査は別の検査だよ」
この年は東日本大震災の年で慌ただしかった。
毎年、早めに行っていた健康診断も行かずじまいで半年が過ぎていた。
この頃、夫の健康保険組合の案内をみたら契約している医療機関に婦人科が開設されたとある。
また、横浜市が一部補助を出してくれるがん検診も使えるとわかり、谷口さんはいつも混んでいてなかなか予約が取れない例のクリニックから、その契約している総合病院で診てもらうことにする。
2011年8月11日・総合病院。
待合室で待っていると名前が呼ばれ診察室に入った。
40代の優しそうな男性医師が座っていて、さっそく問診。
子宮頸がんは通常通りの検査対象となるが、子宮体がんの場合、医師が必要と認めた場合のみ検査が行われるという。
「検査を受けたい理由は何ですか?」
そう聞かれ、時々、不正出血があると答えると、内診と細胞診が行われた。
体内から組織を引っ張り取り、採取する生検で、とても痛い。
ずっと我慢して、痛みに耐えなくてはならない検査。
人によってはあまりの痛さで生検そのものができない例もあるという。
この日、無事に生検を終え、結果は20日後の8月31日に知らされることになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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