大腸がん(S状結腸がん)ステージ4サバイバー 中川さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中川美和さん 大腸がん(S状結腸がん)ステージ4
- 第1話「なぜだか解らない毎日の疲れ」
- 第2話「これはがんです」
- 第3話「矛盾した2つの思い」
- 第4話「ICUと人工肛門(ストーマ)」
- 第5話「あわただしく過ぎていく毎日」
- 第6話「肝臓へのがん転移」
- 第7話「自宅療養から再度のがん転移」
- 第8話「幸せをかみしめる日々」
第7話「自宅療養から再度のがん転移」
大腸がんの手術のあと、腹膜炎の治療、抗がん剤治療と続いた東京都目黒区の中川美和(仮名57歳、2007年当時48歳)さんは、肝臓に転移したがんの手術を受ける。最初のがんの告知から、すでに7ヶ月が経っていた。
肝臓に転移したがんの手術は、無事に終わり、順調に回復していた。
嬉しいことに、この手術で人工肛門が取れて、元の自分にもどった。
約1ヵ月半の入院の後、自宅での療養に移った。
しかし、更なる試練が彼女を襲う。
退院後1ヵ月もしないうちに、2度目の肝臓転移が見つかり、4度目の手術。
「こんなことが、いつまで続くのか…」
捨て鉢になりそうな彼女の心を救ったのは、叔母の「患者会に行くのはどうか?」というアドバイスだった。
調べて、都内にある患者会に行ってみると同世代のがん患者を含め先輩患者たちが大勢いた。
大腸がん患者のグループに行くと、何とも心が落ち着いた。
「ここにいる人たちは、私と同じつらさを経験している。何も言わなくとも私のつらさを解ってもらえる」
そんな安心感から気持ちが安定していくのがわかる。
その後は、いろんな人達が書いた「がん闘病記」を読んだ。
中には自分にとってバイブルと思える本もあった。
それからは、暴飲暴食だった以前の食生活を改め、自然と食事にも気を付けるようになる。心の状態が良いサイクルに入っていくのを感じ取れた。
3回目の抗がん剤治療(5FU+レボホリナート)を終えたのが、2009年9月。最初のがんの告知から2年が経っていた。
辛い抗がん剤治療を乗り越えられたのも心が安定していたからだと振り返る。
精神的に余裕ができたからだろうか。外を眺めると、街を忙しく歩くスーツ姿のサラリーマンたちに気が付いた。
「私も早く通勤がしたい。会社とか仕事とか文句ばかり言っていたけど、もう文句は言いません。毎日通勤できる元の生活に戻りたい」そう思うようになっていた。
だから2度目の抗がん剤治療のころから、治療を続けながらも会社に行けるようになったことがとても幸せに感じられた。
それは、本当に素晴らしいことだった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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