【ストーリー】久田邦博さん 慢性骨髄性白血病 サバイバー

慢性骨髄性白血病 サバイバー 久田邦博さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】久田邦博さん 慢性骨髄性白血病 サバイバー
  2. 第1話「血液検査」
  3. 第2話「高い白血球の値」
  4. 第3話「慢性骨髄性白血病の可能性」
  5. 第4話「骨髄穿刺」
  6. 第5話「骨髄移植かインターフェロンか」
  7. 第6話「インターフェロン入院治療の開始」
  8. 第7話「死を意識して」
  9. 第8話「イマチニブへの切替えと異動」
  10. 第9話「16年が経って」

第8話「イマチニブへの切替えと異動」

精密検査として骨髄穿刺(こつずいせんし)を受け慢性骨髄性白血病と診断され、2001年9月よりインターフェロンを注射する治療を始めた愛知県名古屋市在住の久田邦博さん(54歳、2001年当時38歳)は、今後のことを考えて上司と相談し2002年4月に名古屋支店に転勤した。

名古屋への転勤に伴い新たな病院が必要になった。
2002年4月20日、名古屋の総合病院の医師の診察を受けた際こう言われる。

「インターフェロンが効かなくなったら移植を考えると言われますが、インターフェロンを続けていると移植が難しくできなくなることがあることとをご存知ですか?新薬は治療成績もいいし、作用機序も理に適ってるため、僕だったら今この時点で新薬の方に(治療を)切り替えますよ。どうしますか?」
分子標的薬イマチニブは白血病のがん細胞の増殖を抑える新薬として前年の秋に日本でも承認された。
そのことは前々から知ってはいたが総合的に考えて取り敢えず今は切り替えないことにしていた。

しかし久田さんのことを親身に考えて新薬を勧める医師の言葉は心に響いた。
慢性骨髄性白血病の患者として効果が出ている治療薬を替えることは命がけの選択ともいえる。
悩んだ末、覚悟を決めてそうすることにした。
この切り替えによりまず副作用が軽くなった。
これまでの息が切れるようなだるさとは異なり、まったりとした疲労感に軽減された。
取り敢えずよかったと感じる。

一方、会社の新しい研修担当の仕事はというと苦労していた。
話す相手が社員とはいえ人に教えることの難しさを痛感した。
それまで飛ぶ鳥を落とすかのようにMR(医療情報担当)として活躍していたのにこの新しい役割をうまくこなせない。
苦戦して困っていたとき名古屋支店に配属された新入社員6人を指導したことが大きな転機となる。

「自分が身に付けたMRとしての技量をこの新入社員たちに残したい」
そんな気持ちになっていた。
プレゼンテーションには自信があり社内で一番上手いとも言われたことがあった。
しかし、インストラクター養成講座で指導を受けるとこれまでの自分はプッシー(一方的な)プレゼンテーションをしてきたことに気付く。
どんな環境になっても自分の治療費と家族の生活費を稼ぎだせるようなプロのインストラクタースキルを身に付けたいと決心。

まずは様々な人に通用するプレゼンテーションスキルとして論理構成技術と話し方をいちから身につけようと日々研鑽し続ける。
そして、そんな想いから自己投資も始めた。
コーチング、産業カウンセリング等々、さまざまなセミナーや養成講座を受講して対話のスキルと伝えることの技術を磨いていく。

新たな生きがいを見つけたのだ。
久田さん(38歳)は、いまからの10年間を充実させようと思った。病気でなければ今後40年間生きられるはずなので、その時間の内容を10年間でこなして濃い人生を送りたいと思うようになった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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