慢性骨髄性白血病 サバイバー 久田邦博さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】久田邦博さん 慢性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「血液検査」
- 第2話「高い白血球の値」
- 第3話「慢性骨髄性白血病の可能性」
- 第4話「骨髄穿刺」
- 第5話「骨髄移植かインターフェロンか」
- 第6話「インターフェロン入院治療の開始」
- 第7話「死を意識して」
- 第8話「イマチニブへの切替えと異動」
- 第9話「16年が経って」
第4話「骨髄穿刺」
2001年7月12日に受けた血液検査の結果、白血球の値が高いとして血液内科が常勤する病院を紹介された愛知県名古屋市在住の久田邦博さん(54歳、2001年当時38歳)は、翌日7月13日に紹介先の病院を訪れた。そして担当医から恐らく慢性骨髄性白血病(CML)だろうと伝えられた。
つらい2週間が過ぎ、7月27日。血液内科で2回目の診察の日。
担当医から今後の精密検査として骨髄穿刺(せんし)を行うと説明された。
その検査の候補日として翌週の8月2日はどうかと言われたが、あいにく会社の大事な会議と重なっていた。
「先生、その日は予定があるので次の週でもいいですか?」
2週間後の8月9日に精密検査を行うことになった。
しかし、診察室をでてからハッとして我にかえる。
会社の会議があるから2週間後なんて言っているけど、自分は何をしているんだ…。
いま、命がかかっているというのにいったい何を考えているんだ。
命より会議を優先している自分がおろかに見えてきた。
直ぐに診察室に戻り医師の提案通り翌週の8月2日に変更してもらった。
そして8月2日。
看護師に誘導されて処置室に入った。
ベッドの上であおむけに横になり胸を出す。
医師が第二ボタンのあたりの胸の骨に太い針を刺す。
痛い…。
硬い骨に針を刺すために医師は全体重をかけて骨に針を押し込んだ。
そして骨髄液を抜き取る。骨髄穿刺とはそんな嫌な検査だった。
それから…、止血をするため横になった状態で胸の上に重しを置いて1時間程安静にしていた。
その1時間、色んなことが頭の中を巡った。
「こんな大変な検査をするなんて、もう逃げられないってことだ」
これまでずっと慢性骨髄性白血病という病名から逃げようとしてきた。
でももうそんなことはできないと思った。
「なんで白血病にならなくちゃいけないんだ…」
他にも色んな人がいるのになぜ自分なんだと理解できない気持ちだった。
「(俺は)一体何をしてしまったのか…」
神様が死を宣告するようなことを今までしてきたのだろうか…、自問自答するが答は出ない。
「いままで何のために一生懸命に生きて努力してきたのか?」
30代半ばの働き盛りのビジネスマン。
3年前は課長職に昇進するための試験準備で1年間も勉強をがんばった。
論文を読み経営学を学び休日にホテルで缶詰めになり勉強したこともある。
真面目に努力してきたのに…、やるせない思いでいっぱいになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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