慢性骨髄性白血病 サバイバー 久田邦博さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】久田邦博さん 慢性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「血液検査」
- 第2話「高い白血球の値」
- 第3話「慢性骨髄性白血病の可能性」
- 第4話「骨髄穿刺」
- 第5話「骨髄移植かインターフェロンか」
- 第6話「インターフェロン入院治療の開始」
- 第7話「死を意識して」
- 第8話「イマチニブへの切替えと異動」
- 第9話「16年が経って」
第3話「慢性骨髄性白血病の可能性」
2001年・春の転勤に伴い新たな病院が必要になったため神奈川県の総合病院を受診した愛知県名古屋市在住の久田邦博さん(54歳、2001年当時38歳)は、白血球の値が28,000と知らされる。そしてすぐに血液内科を受診するように言われた。
翌日7月13日
朝一で紹介先の総合病院を訪れた。
会社の上司には昨日からことの成り行きを伝えてあったので、この日に血液内科を受診することは了解済みだった。
昨夜インターネット検索して以来、心の中は揺れていた。
慢性骨髄性白血病(CML)…、自分の中ではそんな病気じゃないと信じているが一方で、もしかしたらそうなのかもしれないとも思う。
半々の気持ちのなかを行ったり来たりだった。
その病院で受付を済ませると問診票を記入するよう言われた。
項目の一つに「告知しても大丈夫ですか?」という欄があった。
普段であれば特段気にすることは無い。
でも今回は目に留まり、OKを意味する丸印をして看護師に渡した。
この病院でもまず血液検査が行われた。
久田さんは正常値が出ることを願っていた。
名前を呼ばれ診察室に入ると感じの良い若い男性医師がこう切り出した。
「(病名は)何だと思っていますか?」
意外な質問だった。
医師に嫌な病名を否定してほしくて「慢性骨髄性白血病じゃないかと思います」と返した。
この病気さえ否定されれば自分の調べた限り他に深刻な病気は見当たらないからだ。
「たぶん、そうでしょう」
医師のその返答は衝撃的だった。
心の中が急にざわざわする感じで焦った。
一番いやなことが現実になってきた感じで「うそでしょ?!」そう思った。
まだ詳しい検査も何も受けていない。だから最後の最後にがんじゃない可能性だってあると思う。
そして次回の血液内科の外来は2週間後となる。
帰宅すると妻にすべてを伝えた。
それからの1か月は今までの人生で最もつらい時間の一つだった。
なぜなら、「がん」かどうかはっきりせず、あれこれと嫌なことを考えてしまいがちだからだ。
暗いことを考えると精神的に参ってしまうので、仕事に打ち込んだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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