慢性骨髄性白血病 サバイバー 久田邦博さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】久田邦博さん 慢性骨髄性白血病 サバイバー
- 第1話「血液検査」
- 第2話「高い白血球の値」
- 第3話「慢性骨髄性白血病の可能性」
- 第4話「骨髄穿刺」
- 第5話「骨髄移植かインターフェロンか」
- 第6話「インターフェロン入院治療の開始」
- 第7話「死を意識して」
- 第8話「イマチニブへの切替えと異動」
- 第9話「16年が経って」
第9話「16年が経って」
2001年に慢性骨髄性白血病と診断され、その後インターフェロンを注射する治療を始めた愛知県名古屋市在住の久田邦博さん(54歳、2001年当時38歳)は、地元名古屋への転勤を契機に新たな病院で分子標的薬(グリベック)を勧められ、治療を切り替える。そして仕事はというと講師という役割に新たな生きがいを見つけがんばっていた。
持ち前の努力で久田さんの対話スキルとプレゼンテーション技術はメキメキと向上した。
やがて、どうせなら「社外からも声がかかる講師になりたい」と思うようになり更に実力を上げていく。
そんな折、2003年2月に参加し講演した診療放射線技師会で一人の技師に声をかけられた。
「久田さんなら医療関係者の「接遇」をテーマにした講演ができると思います」
がん経験者であり、薬剤師、MR経験者、そして、プレゼンテーションスキルがある。
こんな逸材はなかなかいないという事だった。
同時期に参加した別のセミナーでは医療接遇について話す講師の人と出会う。
状況を説明すると、「本当は講師をする人には教えないけど、良ければ私のセミナーにオブザーバー参加しますか?」と言ってくれた。
接遇というテーマをヒントとしてもらった久田さんはかつてMRとして担当していた病院で講演を提案。
了解を得て行った講演にはなんと150人超の参加者が集まった。
好評のうちに終わり自信を深める。
翌2004年、本社を経由して他の病院でも話してほしいという研修依頼が来る。
それからは次、次、とどんどん増えていき活躍の幅が広がっていった。
一方、慢性骨髄性白血病の治療はというと、おおむね安定し進行を抑えられている日々が続いた。
それから…。
2011年9月、ついに「10年間生きる」という目標を達成し48歳を迎えた。
4人の子供たちもみんな10歳をとり大きくなった。
研修講師の仕事、会社、家庭と家族、すべてをやりこなす充実した時間。
全力でがんばってきた10年だった。
今あれから16年間が経った。
1年間に行う患者講演は70回を超える。
息子たちもそれぞれ25歳、23歳、21歳、19歳と成長した。
積極的に人生を楽しんでいる自分がいる。
次のステージの自分を思い浮かべて毎日を過ごしている。
いつまでたっても不安は尽きないが、人生として一流となるように考え生きている久田さんだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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