【インタビュー】本園泰さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー

中咽頭がん ステージ4 サバイバー 本園泰さんのインタビューです。

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目次

基本情報

名前: 本園泰さん >>5yearsプロフィール
年代: 60代、男性
病名: 中咽頭がん
病理: 扁平上皮癌、HPV
進行: ステージ4
発症年月: 2015年11月
発生時年齢: 57歳
受けた治療: IMRT(放射線化学療法)、外科手術、同時再建、リンパ節郭清術   
治療期間: 2016年3月~2016年8月
合併症: 
職業:  会社経営 
生命保険会社: 富士生命保険、福岡県民共済、国民共済、富士火災保険

2015年11月、歯ぐきが痛みクリニックで診てもらいます。がん病巣の舌根とは場所が違うと思いますが、歯ぐきの痛みはがんが理由だったと思われますか?

口の中のわずかな痛みでしたので、がんが理由だったのか解らないです。

2つ目の耳鼻咽喉科病院で内視鏡を使い検査され「舌根に腫瘍があります」と言われます。ご自分でその画像を確認し、どのように感じられましたか?

やっぱり違和感があったのは、これに間違いなかったと思いました。この時は薬で治ると思っていました。

2週間、薬を出されて様子を見ますが、どのような薬で当時は何をしようとしていたのでしょうか?

口内炎の治療薬で、2週間飲んで様子を見ていました。

その後、2月に九州中央病院を紹介され診察を受け「がんと言わば、がんですし、がんじゃないと言えば、がんじゃない」と説明されます。初めて「がん」という病名が出てきますがどのように受け取られましたか?

間違えであってほしい、癌では無いだろうと思っていました。

「がんといえば、がん」と説明された時、奥さまは何と言われていました?

次の病院で先ず検査をしてみないと何も解らないと考えていたようです。

3つ目の病院でもハッキリした診断がおりず福岡赤十字病院を紹介されます。この頃のお気持ちを教えてください。

早く検査して結果が聞きたかったです。

3月、福岡赤十字病院で「がんの疑いが強いです」と告げられます。この当時がんに対してどのような印象を持たれていましたか?このころ体調はいかがでしたか?

早く治療すれば治ると簡単に考えていました。この時の体調は良かったです。
まだ他人事で受け入れていない自分がいました。

口からマジックハンドのようなもので、がん組織を摘み取る生検を受けられます。二度と受けたくない検査と伺いましたが、どんな検査か詳しく教えて頂けますでしょうか。

喉に液体の麻酔を吹きかけられて、数分後に舌を押さえ、舌根左の腫瘍を器具で引きちぎられました。嗚咽、咳、、涙、鼻水、痛み苦しかったです。
(その医師は)普通は鼻から腫瘍を取ると言われていました。

家族でゴルフに行った時は、まだがんのことを明かしていません。いつかは伝えなくてはならないと思いますが、なぜこの時は内緒にされていたのでしょうか?

(この日の心境は)今日は病気の事を忘れて楽しくゴルフと二次会する、そう決めていました。今、癌の話しをしたらみんな心配して、ゴルフどころではないと思ったからです。

「中咽頭がん、ステージ4」と告げられます。お子さん3人にがんを患っていることを明かされますが3人のお子さんたちは何と言われていましたか?奥様は何と言われていましたか?

癌の進行度、入院期間、後遺症など詳しく話しました。子供たちは涙を流しながら話しを聞いてくれました。
妻は治るから大丈夫と言っていたような記憶があります。

「ごはんがいいですか?しゃべるがいいですか?」と九州がんセンターの医師にきかれます。とっさにその意味が解ったと言われました。当時、どのようにして病気と治療について勉強されていましたか?

スマホで情報を検索し、経験者の本も買いました。
癌治療(放射線、陽子線、重粒子)について良く調べていたのを思い出します。

「そこまでひどいなら、俺はもういい」と一瞬治療を拒否されます。死を覚悟されたと思いますが、これはどのような心境だったのでしょうか?その後、治療に向き合い頑張られる本園さんからは想像もつかない投げやりな心境なのですが、本気でそのように思われたのでしょうか?

(自分としては)そこまで進行しているとは思っていなかったです。手遅れか?治療はしないでもいいかと考えましたが、家族、会社の事を考えたらすぐ冷静になり、妻にも悪く申し訳ないと思い気持ちに切り替えられました。

「しゃべること」を選択すると「たべること」がままならなくなるとは、どういうことなのでしょうか?詳しく教えて頂けますか。

(当時、医師によると)喉の手術後は気道か食道か一方しか確保できないような説明だったと記憶しています。だから、そのような説明・理解になったと思います。

扁平上皮がん、HPV型と説明された時の心境を教えてください。

初めて聞いた病名で全くわかりませんでした。

当時インターネットで中咽頭がんの手術を受けた患者の写真をみて、あまりにもグロテスクで怖くなったと伺いました。どんな写真が出てきて、どういう心境になられたのでしょうか?

絶対放射線で治したいと思っていました。大手術は首の周りを切り開き、喉の手術の動画が有り(とても怖い画像で)これは(自分には)無理と主治医に言っていました。

IMRT(放射線化学療法)はいかがでしたか?どのような治療でしょうか?

当初は通常の放射線予定でしたが、スマホで調べてガンセンターが最近(IMRTを)導入したとあり、IMRTでお願いしました。(IMRTの場合)癌巣に色んな角度から照射するので通常の細胞には照射が少ないと聞きました。

抗がん剤(シスプラチン)の副作用はいかがでしたか?

シスプラチンは1回だけ点滴しましたが、(私の場合)副作用はシャックリが出ました。

入院中奥さまの見舞いが唯一の楽しみだったとお聞きしました。孤独で退屈したか?

妻は17時から19時までほぼ毎日来てくれました。
(私の)その日の出来事、治療、食事などのたわいもない話を良く聞いてくれました。
家族のこと、会社の出来事などをよく話しました。
私の心を支えてくれた妻には、感謝しております。

5月にIMRT(放射線化学療法)の効きがよくないと医師から言われます。この時に手術を示唆されたとお聞きしました。最初はがん病巣が大きくて手術できなかったわけですが、IMRTにより、がんは手術できるまでに小さくなったということでしょうか?

放射線39回、合計70グレイの予定で治ると思っていましたが、22回目にMRI検査したところ、手術に方針が変更。
治療前癌巣はT4 手術の時はT1まで小さくなっていました。(術後、主治医から聞いた話です)

声を失い、喋れなくなることの恐怖を教えてください。

仕事もやめる覚悟をしました。つんくさんみたいに俺は強くないと思ったからです。声を失う覚悟はできなかったです。

あれほど嫌がっていた手術ですが、ある時前向きになり闘うことを決めます。どのようにして、気持ちを前向きに持っていかれたのでしょうか?何がきっかけだしたか。

家族の将来、会社の継承(長男)、将来が見たい。(そんな気持ちが湧き)諦めない自分の気持ちが決まりました。

手術後、気道を確保するために喉に取り付けられていたチューブが取れ、自分が話せることが解かります。この時は、どの程度の声で、どんな感じに話せたのでしょうか?

手術後3日に気道を塞いでいたものが取れ声が出ました。(まだ)舌が上手に動かなかったのですが、何とか喋れ、自分でも聞き取れていました。
それが先ずうれしくて、妻にTELしました。彼女も大変驚いていたのを思い出します。

しゃべられることは良かったのですが、なかなか食べられず焦る時期があります。当時は点滴で水分と栄養分を取っていたそうですが、食欲がなかったのですか?それとも噛むことができなかったのでしょうか?

舌も上手く動かず喋りもフニャフニャでした!
口が大きく開かなかったです。(リハビリ指4本縦にしていれる)
噛むことはできました。
この時点では鼻から経口栄養剤を点滴で8日していました。食欲もありません水も飲めない状態でした。

最初は舌をうまく使えず食べられませんでしたが、やがて問題なく食べられるようになります。それまでに、どれくらいの期間がかかりましたか?

術後8日昼最初はゼリーご飯でした。
90分間一生懸命に食べて半分くらい食べられました。飲み込むが出来たのが嬉しかった
10日後におかゆ状態のほとんど柔らかいもの。
20日後くらいでご飯が食べられるようになりました。

振り返り、手術を受けてよかったと思われていますか?

放射線の後遺症は大変なもので、結果的に40グレイで終わってよかったと思います。
手術を受けましたが後遺症が少なくて良かったと感じています。

生命保険加入の際に高度医療も入っていたので重粒子治療も考えましたが、担当医と相談した所、喉が溶けると言われ諦めました。
今回のがん治療は8ヶ月もかかり、この治療で良かったのか他の治療法が良かったかはこれから判ると思っています。
今は良かったと思っています。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは何ですか?

妻は毎日見舞いにきてくれました。
長女が5月に生まれた孫をよく連れてきてくれました。家族の写真を病室いっぱい飾ってくれました。次女は就活の帰りに病院に見舞いに来てくれました。
家族にとても感謝しています。

退院して復職されます。体調的には不十分だったと思いますが、がんと仕事の両立について感じることを教えてください

時間的に短くてもできる仕事のみをしていました。

治療中・リハビリ中、心の浮き沈みにどのように向き合いましたか?

今は3ヶ月ごとの経過観察時は、再発・転移の心配が今でもあります。
私にとってリハビリは、よくしゃべる事です。
頭頚部リンパ郭清術を受けましたが、手術後、肩が中々動かないので最初は苦労しました。
状況的には、シャツを脱げない、トイレでお尻が拭けない、車のギアが動かせない、腕,肩に当たると激痛がするほど大変でした。あの時は、もうこの腕はいらんと思ったほどです。
今はジムでのリハビリ(鉄棒ぶら下がり等90秒)で改善して、なんの不自由もないまで戻りました。

病院を転々と5ヵ所も替わりました。本園さんにとって良い病院選択とはどういうものですか?

まさか癌と思わないので、(正直、このご質問は答えるのが)難しいです。
(私の印象は)癌はガンセンターですね。

咽頭がんを経験して感じていることは何ですか?

こんな病気もあったんだと感じています。
再発はしたくないですし、咽頭、喉頭、首のがんはもういいですね。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

【得たもの】

  1. 家族の大切さ優しさ
  2. 人の恩
  3. 癌患者の皆さんと知り合えたこと

【失ったもの】

  1. 味覚半分
  2. 唾液半分
  3. 舌根半分

大切にしている言葉は何ですか?

継続は力なり
千里の道も一歩から

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

苦しい時、つらい時、我慢しない。泣いても良いですよ

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいことを教えてください。

(患者を)支えてあげてください…側にいてください。

本園さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

日々楽しく働く、あと5年フルマラソンを年2回走ることです。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. タバコ
  2. 検査しない
  3. 諦める

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 生きる
  2. 諦めない
  3. 一人で考えない

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. 大丈夫やね
  2. 治ったね
  3. 元気やね

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

宗教,信仰しないので癌になった。

復職する際に大切なこと

  1. 明るく
  2. 元気
  3. 病気の顔しない

当時参考にした本

  1. 福島さん 中咽頭癌 鹿児島指宿の陽子線治療で寛解した(題名不明)
  2. 本 つんくさんの 生きる
取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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