大腸がん(下行結腸がん)ステージ2~3 サバイバー 岩井ますみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー
- 第1話「毎年の健康診断」
- 第2話「検査報告書の便潜血・陽性+」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「11月下旬の寒い夜」
- 第5話「大腸がんの確定診断」
- 第6話「毎週の検査と仕事への不安」
- 第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
- 第8話「手術と退院後の仕事」
- 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
- 第10話「抗がん剤(TS-1)治療」
- 第11話「手術~抗がん剤治療。強い副作用」
- 第12話「がんの告知から3年半」
- 第13話「これまでのキャリアと向き合って」
第3話「大腸内視鏡検査」
2007年の健康診断で2つのサンプルのうち1つから「便潜血・陽性+」と報告された千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2007年当時43歳)は、翌年の健康診断ではサンプル2つとも陽性となった。
2008年11月上旬
この頃、疲れやすくなったなと感じていた。だが、特段なにか自覚症状があったわけではない。
健康診断の結果がでていたので2週間後に近所のクリニックに行き診てもらう。
すると医師からこう言われた。
「血液検査の結果、貧血の数値もひどく、これはもう精密検査を受けてください。ただ必ずしもがんとは限らないし、痔や婦人科のこともあります」
岩井さんは「はい、わかりました。行きます」程度の反応であまり大ごととはとらえず検査のできる近くの総合病院の予約を取る。
蓄えがある程度あるから、これから仕事を少し減らしてゆっくりいこうと考えていた時だった。
2008年11月下旬
大野中央病院の外科を訪れた。
担当したのは副院長で優しそうな男性医師だった。
予定通りこれから大腸内視鏡検査を受ける。
2時間かけ、下剤を飲み干し腸内を空っぽにしてから検査台の上で横になった。
この時はまだリラックスして気楽に考えていた。
そして検査開始。
するとモニター画面を観ながら内視鏡を操っている医師が「あっ…」という。
驚いた感じの声だった。
それからは医師も看護師も慌ただしく動き回り騒然としてくる。
「〇〇を持って来て!」、「ここをマーカーで…」、「いまからピンで留めるから」
さっきまで静かでゆっくりだった検査室が、大忙しに変わった。
それに対し岩井さんは…。
「私は、がんなんだな、きっと…」
周囲の雰囲気とは対照的に冷静に頭で考えていた。
恐い感じは全くない。
検査のあと、医師に何を質問したらいいかと考えるほど落ち着いているのだ。
一方で医師と看護師は内視鏡を用いて組織の生検を行っていた。
長時間の大腸内視鏡検査となった。
すべて終了しこれから患者が休憩する部屋に通されると思ったらそのまま車いすに乗せられレントゲン室に通された。
この日最後の患者となり外来の待合室にはもう誰もいなくなっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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