大腸がん(下行結腸がん)ステージ2~3 サバイバー 岩井ますみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー
- 第1話「毎年の健康診断」
- 第2話「検査報告書の便潜血・陽性+」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「11月下旬の寒い夜」
- 第5話「大腸がんの確定診断」
- 第6話「毎週の検査と仕事への不安」
- 第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
- 第8話「手術と退院後の仕事」
- 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
- 第10話「抗がん剤(TS-1)治療」
- 第11話「手術~抗がん剤治療。強い副作用」
- 第12話「がんの告知から3年半」
- 第13話「これまでのキャリアと向き合って」
第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
2009年に順天堂大学医学部附属浦安病院で腹腔鏡による大腸がん(下行結腸がん)の手術を受けた千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2009年当時45歳)は、その後体調が悪くお腹を壊し下痢をする毎日だったが元の生活を取り戻そうと一生懸命に頑張っていた。
2009年・春
体調は思わしくなかったが、入院でお休みした講師の仕事をなんとか3月中に終わらせ、執筆の仕事も挽回しようとこなした。
想像以上にきつい日々で体力と体調の回復ってこんなにも時間がかかるものかと思った。
そして4月からのフリーランスの仕事はというと…、本調子には程遠い体調のなか極力こなしていた。
各種スクールや教室は下期(10月~3月)の企画を夏に練り始める。
それに間に合うようにと岩井さんは企画書を提出し、半年間の日程を押さえた。
自分では下期からならフルにできると信じている。
秋から完全復帰となるように4月~9月の間は頑張って仕事を通常に戻そうとしていた。
夏が終わり…、10月。
3ヶ月毎の経過観察で病院に行った。
経過観察の検査のたびにドキドキする。
この日、診察室に入ると担当医が渋い表情で座っていた。
「体調はかわりないですか?」と聞きながら普段はしない耳の下や脇の下のリンパを触診する。
更に診察室のベッドに横になるよう指示し、足の付け根や腹部なども触診し確認するとこう言った。
「腫瘍マーカーの値が高いから、転移があるかもしれないです。精密検査をしましょう」
その瞬間、ぞっとした…。
それからの岩井さんは再び検査だらけの毎日となる。
超音波(エコー)検査、CT画像検査、血液検査、
すでに10月からの新しい仕事が始まっているというのに…、重たい雰囲気になった。
すべての検査結果を伝えられる日、診察室で担当医からこう言われた。
「(がんが)肝臓に転移しています。抗がん剤治療を始めましょう」
あまりの強い衝撃に言葉にならなかった。
「せっかく、もとの生活に戻したのに…。また仕事をキャンセルし断るのか。これじゃ二度と同じところには戻れなくなる」
がんにより生活を奪われ、手術後、一生懸命に生活を取り戻してきたが再びがんで奪われてしまう…。
診察室では冷静に思いつく限りの質問をしたが、会計を待つまでの間、我慢をしていた涙がこぼれた。
今まで生きてきた中でこれほどの喪失感は無かった。
大腸がん、ステージ4。
厳しい状況になっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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