悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)、転移性脳腫瘍、放射線治療後の脳浮腫 ステージ4 サバイバー 金内大輔さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】金内大輔さん 悪性縦隔腫瘍、転移性脳腫瘍、他 ステージ4 サバイバー
- 第1話「止まらない咳」
- 第2話「命にかかわる病気」
- 第3話「悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)」
- 第4話「5クールのBEP療法」
- 第5話「外科手術と肺転移」
- 第6話「がん病棟で迎えた二十歳の誕生日」
- 第7話「脳転移」
- 第8話「ガンマナイフによる放射線治療」
- 第9話「再びの大学生活」
- 第10話「放射線治療の後遺症と病気差別」
- 第11話「思うようにいかない毎日」
- 第12話「繰り返して再挑戦」
- 第13話「1通の通知」
- 第14話「報われない努力はない」
第8話「ガンマナイフによる放射線治療」
悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)が脳に転移した北海道余市郡在住の金内大輔さん(44歳、1993年当時20歳)は、まだ当時(1993年は)保険適用になっていなかったガンマナイフによる放射線治療を受けた。
放射線治療は無事に終わった。
正直言って、こんな治療でがんをやっつけられるのかと半信半疑だった。
治療後、8人部屋に戻り考えた。
「ともかく今はやれることを1つ1つこなしていくだけだ」
1週間ほど経って退院し元の札幌南一条病院に戻った。
この治療のあと腫瘍マーカーAFPは正常値に戻り安心した。
画像上まだ見える脳の腫瘍の影もやがて小さくなっていくだろうとのことだった。
そして術後の抗がん剤(BEP)療法を追加的に1クール受けた。
1993年5月
退院というゴールが近づいていた。
右半身の麻痺やしびれもなければ車椅子の生活なんてことにもならなかった。
すべて無事に終わり良かった。
しかし金内さんは不思議と元あった普段の生活に戻ることに抵抗を感じていた。
病棟での入院生活に慣れてしまったからだ。
「ここで患者としていることは楽(らく)だ。だけど、患者として元の生活に戻ることは楽じゃない」
何でもやってくれる入院生活から、大抵のことを自分でやらなくてはならないもとの生活に戻るのをおっくうに感じていた。
髪の毛もまだ生えていない。
どうせなら髪の毛がきちんと生えてから大学に戻りたいな。
社会に戻る日が近づいているが、いろんなコンプレックスを感じていた。
そして5月下旬ついに退院するその日。
金内さんをずっと診てきた恰幅がいい呼吸器内科の先生に言われた。
「本当におめでとう。正直言うと金内君が入院してきたとき、命が助かるとは思っていなかったんだよね」
先生たちは奇跡を起こすために全力でやってくれたんだと改めてわかり万感の思いで札幌南一条病院を退院した。前年9月から実に8ヶ月後のことだった。
その後、小樽市の実家に戻り生活していたが何をしていたのか記憶がない。ゆっくりしていたはずだ。
そして9月から後期授業に出るために青森県弘前市の下宿に戻った。
この1年間、下宿はそのままだった。
弘前大学のキャンパスに行き生協で本を買った。落合信彦が書いた『狼たちへの伝言』。
目標を失っていた金内さんには刺激的な本だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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