悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)、転移性脳腫瘍、放射線治療後の脳浮腫 ステージ4 サバイバー 金内大輔さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】金内大輔さん 悪性縦隔腫瘍、転移性脳腫瘍、他 ステージ4 サバイバー
- 第1話「止まらない咳」
- 第2話「命にかかわる病気」
- 第3話「悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)」
- 第4話「5クールのBEP療法」
- 第5話「外科手術と肺転移」
- 第6話「がん病棟で迎えた二十歳の誕生日」
- 第7話「脳転移」
- 第8話「ガンマナイフによる放射線治療」
- 第9話「再びの大学生活」
- 第10話「放射線治療の後遺症と病気差別」
- 第11話「思うようにいかない毎日」
- 第12話「繰り返して再挑戦」
- 第13話「1通の通知」
- 第14話「報われない努力はない」
第12話「繰り返して再挑戦」
放射線障害により右脚・右腕がうまく使えなくなり身体障害者として認定された北海道余市郡在住の金内大輔さん(44歳、1997年当時24歳)は、開頭手術により麻痺が改善した。再就職活動がうまくいかないなか、理学療法士になるための短期大学進学を目指し勉強していた。
職を失い実家で暮らしている。
右脚、右腕が麻痺しているから時々小樽市の野口病院に通院してリハビリを受けていた。
その際に出会った理学療法士をみて職業に憧れる。
今は人に助けられてばかりの立場だが、この仕事なら逆に人を助けることができ、患者としての経験も活きる。
そう思い、今後の進路として真剣に考えた。
そして2000年に受験。
秋田大学附属医療技術短期大学、仙台病院附属リハビリテーション学院、千葉県医療技術大学校(当時)。
しかし、すべて不合格。
厳しい現実をみた。
翌年に再度受験したが前年同様、合格した学校はなかった。
この頃よく計算間違いをした。
なんでこんな単純な計算を間違えるのかと思ったがよく間違えた。
また小論文を上手く書けなかった。
こんなこと病気と障害のせいにはしたくない。
しかし常に頭が重たい状態で生活していた。
この頃金内さんをとりまく環境はどんどん厳しくなっていた。
一向に改善しない体調。
ハローワークで求職のために登録するが長い目で見て働ける仕事には中々つけない。
大学を卒業して最初の会社を残酷な形で辞めさせられて以降、定職についていない期間が長くなっているから採用側も慎重になっているのかもしれない。
焦る…。
2002年に入りこれではらちが明かないとして目指すものを変更した。
身体的なハンディキャップがあるのに体を使う理学療法士の仕事は酷だ。だから身体はあまり使わない言語聴覚士の職を目標に据えた。そして専門学校の受験準備を始めた。
しかし翌年受験した国立障害者リハビリテーションセンター学院は不合格となる。
生きていかなくてはならない。生活していかなくてはならない。
だからアルバイトをしながら受験準備をするのだが限られた時間のなか、さまざまなハンディキャップを負っている金内さんの受験は上手くいかないことの連続だった。
それでも仕事とキャリアをあきらめることのできない金内さんは再挑戦を繰り返していた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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