悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)、転移性脳腫瘍、放射線治療後の脳浮腫 ステージ4 サバイバー 金内大輔さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】金内大輔さん 悪性縦隔腫瘍、転移性脳腫瘍、他 ステージ4 サバイバー
- 第1話「止まらない咳」
- 第2話「命にかかわる病気」
- 第3話「悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)」
- 第4話「5クールのBEP療法」
- 第5話「外科手術と肺転移」
- 第6話「がん病棟で迎えた二十歳の誕生日」
- 第7話「脳転移」
- 第8話「ガンマナイフによる放射線治療」
- 第9話「再びの大学生活」
- 第10話「放射線治療の後遺症と病気差別」
- 第11話「思うようにいかない毎日」
- 第12話「繰り返して再挑戦」
- 第13話「1通の通知」
- 第14話「報われない努力はない」
第9話「再びの大学生活」
悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)の治療のため札幌市の病院で8カ月間を過ごした北海道余市郡在住の金内大輔さん(44歳、1996年当時23歳)は、1年ぶりに青森県の弘前大学に戻った。病気治療で1年留年し再び大学1年生をやり直す。
がん治療という過酷な1年を経て再び弘前大学の1年生に戻っていた。
治療後の経過観察は3ヵ月に1回、札幌南一条病院と中村記念病院の両方で診てもらっていた。
それからは順調に学生生活を送った。
普通の学生に戻っていたのだ。
しかし、1996年3月、大学3年生の経過観察で脳に腫瘍が再発しているとわかる。
恐れていた再発だったが、ガンマナイフは一度経験している。
この時は淡々と放射線治療を受け再び大学生生活に戻った。
そして1996年8月、大学4年生。
金内さんも他の学生たちと同じく就職活動をがんばっていた。
卒業後の自分の進路について悩み、仕事、会社という人生の岐路の中で夢を抱きながらいろんな組織、会社を見て回っていた。
そんな大学4年生の夏の時期に不思議なことが起こる。
普通に道を歩いていたのだが、右足がつまずく。
カックン。
何とも変な感じだった。
とっさにこう思った。
「もしかして…、放射線障害が出てきたのかな?」
以前、ガンマナイフ治療を受けるときインフォームド・コンセントでそういった障害が出るリスクを説明されていた。
でも、まさか自分には起きないだろうと信じていたし、あまり気にしていなかった。
この日、脚がカックカックなる事実を受け入れられず葛藤していた。
会社訪問、面接と進み、内定も出だした。
しかし、自分ががんの治療を受けたこと、いま放射線障害らしきものが出ていることは明かさなかった。
もちろん就職活動に入る前にどうするか悩んだ。
でもそんなこと言ったら不利になるんじゃないかと恐れ、敢えて言わなかった。
会社選びは色々と迷ったが酒類の販売会社に決めた。実家のある小樽市にも支店があるからだ。
一方、右足の調子は徐々に悪くなり、もう普通に走ることができなくなるんじゃないかと恐れた。
だから、普段はランニングなんてしていなかったけれど弘前市にあるアップルロードを走った。
「僕は走れなくなるかもしれない。最後の思い出にこの道を走っておこう」
そんな切ない思いでアップルロードを走った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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