浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
椎間板ヘルニア、骨化症、乳がんと大きな病気を次から次と患う母に育てられてきた東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、自身が31歳の時、母が胆管がんで命が残り少ないと父から知らされる。抑えきれないつらい思いを孝之さん(仮名)に伝えた。
この時、交際を始めて4年経った頃だったが、そもそも付き合い始めた時に恋愛感情はあまりなかった。
2人の間に10歳以上の年齢の差があったので依田さんからするともう一人のお父さん的存在というか、お兄さん替わりというか、そんな感じの人だった。
だが毎週末に会い、交際を続けていくうちに依田さんにとって特別な存在になっていく。
ただ悩ましかったのは孝之さんには離婚歴があり前の奥さんとの間に娘さんもいた。
その娘さんの強いお願いで孝之さんは再婚もしないし彼女もつくらないことになっていた。
だから依田さんにとって大切な人にもかかわらず結婚することができない恋人だった。
孝之さんは従業員を10名ほど雇っている建設関係の会社を経営していた。
現場主義の経営者だったため常に建築中の建物に足を運び忙しく働いていた。
請け負っている仕事の地理的範囲が広いため本社から離れた場所にも自分のオフィスが必要となりマンションの1室を借りて第2のオフィスとしていた。
マンションなのでそこで生活することもできる。
依田さんの楽しみは週末に孝之さんのオフィス兼マンションに行き、ご飯を作ることだった。
マンションで一緒の時間を過ごす生活が始まりあっと言う間に20年という長い月日が経った。
2人は結婚こそしていないが夫婦同様の仲で週末を一緒に暮らす家族になっていた。
2013年10月、そんな二人に大きな変化が起こる。
依田さんは48歳になっていた。
孝之さんが会社の健康診断の結果、胸のレントゲン画像に影があると言われる。
翌11月、これまで糖尿病で定期的に診てもらっていた病院で再検査してもらった。
その日、画像を確認した医師から「たぶん大丈夫だと思いますよ」と言われて安心する。
しかし、このころ頻繁に咳がでていた。
だからもう一度調べてもらおうと翌12月に再度来院する。
前回とは違う曜日に行ったため担当の医師が別の人だった。
その医師の診断では胸のレントゲン画像に気になる影があるので、大きな病院でしっかりと診てもらった方がよいというものだった。
そして2014年1月、孝之さんは地元のがん専門病院を訪れた。
次のページを読む >> 第5話「交際相手のがん」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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