浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第3話「母のがん」
大病を繰り返し患う母親、そして会話らしい会話のない父娘という関係のもと、ひとり子として育った東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、中学生のとき母親の乳がんを身近にみてきた。そして31歳になった時、母親が2つ目のがん、胆管がんを患う。
1992年・夏の土曜日
依田さんはいつものように整骨院に行こうとしていた。
週末に整骨院に行き電気をかけてもらったりして身体の調子を整えるのが生活の一部になっていた。
この土曜日もそれに出かけようとした時、父親が「ちょっと…」と声をかけた。
普段無口の父がなんだろう…と聞くと。
「お母さんなあ、がんで残り3ヵ月くらいだって言うんだ。先生にそう言われた」
とても重たい話だった。
詳しく聞くと胆管がんがここまで進行してしまうと治療の施しようがなく残り僅かな命だと言う。
ショックだった。
そこまで厳しいとは思ってもいなかった。
自分が31歳という若さで母親を失ってしまう現実が急に目の前に近づいてきた。
衝撃的で落胆する気持ちと同時に、なんでそんな大事なことを娘が出がけの時の声掛けで伝えるのか…父親に失望した。
普段から会話のない父娘の間柄だから父も伝えたくても伝えられなかったのだろうが情けなくなった。
家を出て歩いているうちにこみあげてくるつらい気持ちを抑えきれなくなった。
お母さんが死んじゃう…。
ともかく誰かに話を聞いてもらいたくて、たまらず、お付き合いしていた孝之さん(仮名)に電話した。
4年前からの交際相手の人で、たまたまこの週末は仕事で会えないと言っていたが連絡した。
ただ事ではないとわかった孝之さんは仕事を途中にして会いに来てくれた。
涙が止まらない依田さんの気持ちに寄り添うように「うん、うん」とただひたすら聞いてくれた。
そして「俺がついているから一緒にがんばろう」
そう声をかけてくれた。
急に目の前に迫った喪失感で大きな不安を感じていた依田さんの心を支えてくれた。
次のページを読む >> 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-