浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第11話「抗がん剤治療と復職」
2014年11月に乳がんの手術を受けた東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、退院した12月6日に自宅に戻ると、前日に転倒して頭を打っていた父親の様子があまりにも変なので救急車で病院に向かった。
自分だって患者なのに、入院患者となった父親の世話をした。
自身の体調と相談しながら毎週見舞いに行き、どうしても行くことができない日は叔父(母親の弟)に替わってもらった。
12月の冬の寒い日、そして年末年始、手術後の身体をいたわる時間もなく父親の世話をした。
1月後半、父が退院するころ会社から連絡が入る。
もし復職できるのであれば、早めにお願いしたいとのことだった。
契約社員という立場もあり3ヵ月も休職が続くと悩ましいということだった。
慣れ親しんだ会社で、職場の同僚たちが好きだった。だから、2月になる前に復帰した。
一方、乳がんの治療はというと2月20日から抗がん剤(AC)療法が始まった。
使う薬は「アドリアマイシン」と「シクロホスファミド」頭文字をとってAC.
3週間を1クールとするもので、第1日目に点滴で抗がん剤を身体に入れる。
依田さんは会社と相談し、いつも金曜日の午前まで仕事をして、午後に半日休暇をもらい病院で抗がん剤治療を受けた。
薬が身体にしっかり入って気持ち悪い当日、2日目、3日目は土曜日、日曜日となるので会社を休まなくて済む。4日目の月曜日を有給休暇に充てた。
ただ火曜日はまだ体調が悪いときもあり、そんな日は更衣室で時々休んでいた。
通勤はウィッグ(かつら)、仕事場ではニットの帽子。
2015年の5月まで合計4クールを頑張った。
依田さんの乳がんは病理検査の結果、「トリプルネガティブ」。
だから抗がん剤治療がとり得る治療の選択肢と説明され、AC療法の後は、次の抗がん剤(パクリタキセル)の投与が始まった。
そして、心配しても仕方がないことは気にしないように努めた。
不安な時は「もし…、死んでも、あっちにはお母さんもいるし、孝之さんだっているんだから」
そんな風に心を整理するときもあった。
きつい抗がん剤治療を心の整理の繰り返しで乗り越えていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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