乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】日暮弓美さん 乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん、)、卵巣がんステージ1(粘液性)
- 第1話「ダブルキャンサーのはじまり」
- 第2話「胸のくぼみの超音波検査と細胞診」
- 第3話「乳腺外科での診察とがんの告知」
- 第4話「検査の終了と臨床試験の勧め」
- 第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
- 第6話「腫瘍の一部消失。外科手術へ」
- 第7話「予防も兼ねた術後治療」
- 第8話「経過観察のたびに上がる腫瘍マーカー」
- 第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
- 第10話「疑われる乳がんの卵巣転移」
- 第11話「術中迅速病理診断。原発の卵巣がん。」
- 第12話「受け入れがたい現実」
- 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
- 第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
2種類のがん(乳がん(2007年)、卵巣がん(2015年))を発症し長期の治療を何度も乗り越えてきた埼玉県飯能市在住の日暮弓美さん(51歳、2015年当時50歳)は、昔の自分と向き合った。
乳がん学会のファッションショーは、がん研有明病院のロビーに簡易的なステージをつくり行われた。
女性のショーにもかかわらず男性が4割近くも観に来て立ち見席が出るほどの大盛況ぶり。
日暮さんは楽しんだ。
純粋にこのイベントを楽しんだ。
乳がんを発症した2007年当時「あのひと、がんだってよ」とうわさされるのが嫌で隠し、臆病だった自分に「大丈夫だよ」と言ってあげたいのだ。
当時50歳まで生きることが目標だったがそれも1年前に達成できた。
2017年4月に「がん患者が歌う春の第九」というコンサートがある。
東京オペラシティコンサートホールで開催される予定で、日本フィルハーモニー交響楽団が演奏する。
これに出たいとして申し込むこともできた。
昔だったら、そんなこと絶対にできなかった。
昨年11月、春の第九の取材を受けませんかと運営事務局から連絡があり快諾したところ、読売新聞に名前と写真の記事が出た。
生き急いでいるのではない。
一日を大切に充実して生きたいのだ。
9年前の超音波検査でがんの告知をした埼玉医科大学国際医療センターの医師に「間違いありません。これは治療が必要なものです。もう初期ではないので最初に手術はできません。まずは抗がん剤治療を行って、夏に手術できるのが目標です」と言われたところから、日暮さんのストーリーが始まった。
その医師が異動すると言うので、先日久しぶりに会いに行った。
「実は(若い)医師からちょくちょく日暮さんのことは聞いていたんですよ。元気にしていると聞くたびにびっくり驚いていました。よかったです」
医者も驚くような生命力を示し濃い時間を過ごしてきた。
今年の東京マラソンはボランティアとして参加する。
いま地元の飯能市の音訳の講座も受講し始めた。
楽しみな予定がいっぱいの日暮さんだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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