【インタビュー】乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん) 卵巣がんステージ1(粘液性) 日暮弓美さん

乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのインタビューです。

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目次

基本情報

名前: 日暮弓美さん >>5yearsプロフィール
年代: 50代、女性
病名: ①乳がん(浸潤がん、硬がん) ②卵巣がん(粘液性)
進行: ①ステージ3c ②ステージ1c3
発症: ①42歳 ②49歳
治療: ①術前抗がん剤8クール(CEF療法、タキソテール)→乳房温存手術→放射線治療、抗がん剤(TS-1)治療、ホルモン治療
    ②手術2回 → 抗がん剤(タキソール、カルボプラチン)治療6クール
    
期間: ①10年以上 ②約1年
合併症:なし
職業: 在宅で行う添削指導員
生命保険:未加入

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お風呂からでたあと、左胸にくぼみを見つけた時の心境はいかがでしたか?

「もしかして、がんかな」と思い恐怖に襲われました。早く病院に行かなくてはという気持ちと病院に行って結果が出るのが怖いという気持ちが入り混じっていました。

「1/2成人式」をやり遂げるため、病院に行くのが遅れます。この時、もし手遅れになったら…とは思いませんでしたか?

思いませんでした。今もそうですがなぜか昔から「私は大丈夫」という根拠のない自信
があります。この時期ネットで情報を集めて乳がんの進行はそんなに早くないということを知ったことも手遅れになりはしないかとは思わない理由になりました。

なぜ、飯能中央病院に行ったとき、家族には知らせずお一人で行ったのですか?

余計な心配をかけたくなかったからです。治療に入ると決まったら知らせればいい
と思っていました。

最初、胸の炎症の可能性を言われたのに、翌週は細胞診、組織診と詳しく調べられます。どのようなお気持ちでしたか?

やっぱりがんなのかな。がんに違いないんだろうなと思っていました。

細胞診が行われた1週間後に結果報告となり、はっきりしない期間があります。心ここにあらず状態とありますが、当時どんな感じでしたか?

買い物に行ったときレジに並んでいると、買い物かごに入れた覚えのない品物が入っていることがよくありました。頭の中は常に「がんかもしれない」という考えでいっぱいで他のことを考える余裕がない時期だったと思います。

細胞診と組織診が良性なのに大学病院での再検査を勧められます。どう感じましたか?

やっぱりがんなのかもしれないな、覚悟を決めないといけないと思いました。

埼玉医科大学国際医療センターでは、最初から「がん」であることを言われます。どんなお気持ちでしたか?

やっとはっきりしないグレーな期間を脱して前に進める、治療ができると思いました。

がんの告知のあと、ご主人は日暮さんに何と声をかけられましたか?

「気がついてあげられなくてごめんね」と言われました。

日暮さんの乳がんに対するイメージは最初いかがでしたか?どのように変わりましたか?

最初は「がんは怖いもの」でしたが、その後は「たとえ再発・転移しても長期間共存できるから、そんなに怖くないもの」と変わりました。

乳がんのことをご両親には知らせず、なぜ、お付き合いの浅かった学年委員長に伝えたのですか?

両親にはよけいな心配をかけたくなかったからです。学年委員長は8か月のお付き合いの中で信頼できる人だと感じていました。身近に病気のことを理解してくれる人がいるというのは本当に心強かったです。

なぜ、ご主人の反対を押し切って臨床試験を受けると決めたのですか?

ステージが進んでいたため、受けられる治療はすべて受けようと思っていました。
再発したとき「もしあの時臨床試験を受けていれば、再発しなかったかもしれない」と思うのは避けたかったからです。

最初の抗がん剤治療(CEF療法)が効果ないとわかった時のお気持ち

もともと私の乳がんのサブタイプは抗がん剤が効かないと言われているものだったので、やっぱりという気持ちもありながら、あれだけ頑張ったのにと悔しい気持ちもありました。
そして後半では必ず成果がでますようにと祈るような気持ちを持ちました。

抗がん剤治療(タキソテール)の4クール目にこだわった理由?

ステージが進んでいたこととCEFが効果なしという判定がでてしまったため、どうしても最後まで治療を続けたかったからです。
この臨床試験を完遂できる人はなかなかいなくて病院二人目の完遂者になりたかったからです。

乳房が温存できる手術を伝えられた時の雰囲気と心境

乳腺主治医に出会った頃「抗がん剤が効けば温存できるんですか?」と質問したときに「あなたの場合は温存が目的ではなく全身の治療が目的だから、勘違いしないように」と言われていました。それにもかかわらず乳腺主治医が何とかして胸を残してあげようといろいろ考えてくれていたことがわかり、温存できるという事実よりもその先生の気持ちがうれしくて仕方なかったです。

せっかく手術が無事終わったのに、放射線治療、抗がん剤治療、さらにホルモン療法と3つも行うと言われた時の心境

放射線とホルモン治療は抗がん剤スタートのときから決まっていたので覚悟していました。TS-1のことは少し先の道を行く先輩から勧められるということを聞いていたので治療を受けようと決めていました。だからとまどいはなかったです。

手術の3つの治療(放射線治療、抗がん剤治療、ホルモン療法)はいかがでしたか?

ホルモン治療は特に副作用もなかったので薬を飲むことが日常の一部になっていました。放射線はちょっとしんどかったけど毎日通っていたら、友達ができて通院が楽しかったです。TS-1は正直に言うとものすごく辛かった。でも完遂したかったので頑張りました。

腫瘍マーカー(NCCST439)が上昇を続けていたときのお気持ち

乳腺主治医がどーんと構えてくれていたのであまり不安にならずにすみました。再発しても元気に過ごされている方が周りに多かったということも私にいい影響を与えてくれていて不安にならずにすんでいたのだと思います。

日暮さんにとって仕事とは何ですか?

日常です。長年続けていて大好きな仕事なので失いたくないものです。具合が悪くても仕事が待っていると思うだけで気持ちがしゃきーんとしたりしました。また仕事をしている時間はがん患者ではない自分に戻る時間でもあると思っています。

子育てをしながら乳がん治療を行うことの大変さ?どのように乗り越えましたか?

もう記憶が薄れつつあるのですが、話に出てくる学年委員長が、具合が悪い時にご飯を届けてくれたりして本当に助けられたことは覚えています。乳がんの治療は入院するのは手術の時だけでしかも短期間でした。だから子育てとも両立可能だったのだと思います。

宮沢湖のロードレースを見たのがきっかけですが、なぜ走り出したのですか?

それまでウォーキングをやっていたのですが、なんとなく私にも走れるかも?と無謀なことを思ってしまって走り始めてしまいました。

乳がん患者が、東京マラソンを走れました。いかがでしたか?

楽しかったし、幸せでした。結果的に私は卵巣がんとともに東京マラソンを走ったことになりますが、この思い出がWキャンサーになってからも頑張る力になったと思います。

がん研有明病院で「良性ではない」と言われた時のお気持ち

PETが真っ赤に光っていた時から良性のはずはないだろうと思っていたのでやっぱりと思いました。

乳がんの卵巣転移と言われていたのに、原発の卵巣がんと診断された時のお気持ち

原発のほうが治る可能性があるのでいいことなんだと頭ではわかっていましたが、せっかく日常生活に戻っていたのに、ふたつ目のがんの治療に入ることでがん患者として振出しに戻らなくてはいけなくなったことに戸惑いを感じました。これから起きることが簡単に予想できたので心はしんどかったです。

ご主人は、卵巣がんの原発と知りどんな感じでしたか?

また治療のやり直しだね。かわいそう・・・といっていました。私よりショックを受けていたのだと思います。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは?

ごく普通に接してくれたこと。治療によって容姿が変わっていく私を当たり前のこととして受け入れてくれたことです。

がん治療中に添削指導員のお仕事はこなせましたか?がんと仕事の両立について教えてください

乳がんのときは抗がん剤治療後1週間休んで復帰しての繰り返しでしたが、卵巣がんのときは入院中の期間は仕事を休み、退院翌日には仕事に復帰し抗がん剤中も一度も休みませんでした。これは在宅でできる仕事だから可能だったことだと思います。ミスが許されない仕事なので治療中はいつも以上に気を遣って仕事をしていましたが、「仕事がある」「仕事をしなくては」という状況が治療の励みにもなっていたことは事実です。

卵巣がんの原発という事実を受け入れることの大変さ。どうやって乗り越えましたか?

原発卵巣がんとしての治療を受けるという決意を伝えに行ったときの婦人科主治医の言葉「言いたいこと先に全部言ってごらん」を受けこれで90%は乗りきれたと思っています。
また独りぼっちだった乳がん罹患後間もない時に比べると私にはたくさんの病気仲間と支えてくれる先生たちがいました。つらいことを言葉にして聞いてもらえる人がいるといことはとても大きなことでした。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

泣きたくなったら悲しい映像を見て無理やりにでも泣く!
つらいことは言葉にして誰かに伝える!

女性のがんである乳がん、卵巣がんの治療と性的な尊厳について

年齢もそう若いわけではなかったので医師たちに胸などを見せることに抵抗はありませんでした。乳がんの抗がん剤ですでに生理も止まっていたので、卵巣を失うということにも全く抵抗がなかったです。よく女性ではなくなったと感じる人がいるようですが胸がなくても卵巣や子宮がなくても女性であることには変わりはないと思っています。

主治医に「言いたいこと先に全部言ってごらん」と言われた時のお気持ち

この言葉を聞いた瞬間、私頑張れると思ったほどうれしい言葉でした。この言葉と手術のときに麻酔が効くまで握ってくれた手のぬくもりは今でも私の心の支えです。

日暮さんにとって信頼できる医師とはどんなお医者さんですか?

真正面から患者に向き合ってくれる医師。
小さなことでも患者の言葉に耳を傾けてくれる医師。
病気だけを診るのではなく、私という人間を通して病気を診てくれる医師。

患者友達の方たちの存在意義

心の支えです。仲間がひとりもいなかった乳がん告知のときと、仲間がたくさんいた卵巣がん告知のときでは、その心細さや不安は天と地の差がありました。

卵巣がんと乳がん、日暮さんにとってはなにが違いますか?

病気は比べるものではないと思いますが二つ経験したものとして素直な感想を述べると卵巣がんのほうが数倍大変!です。手術の範囲も大きいし抗がん剤もきつい。しかも治療法が抗がん剤しかなく予後は乳がんに比べると格段に良くない。乳がんはさまざまな啓発イベントがありキラキラした場所も多いけど、婦人科がんはいまだに対照的で日陰の存在という感じすらします(語弊があったらごめんなさい)。
両方を経験してその差を感じました。

卵巣がんの抗がん剤治療(タキソールとカルボプラチン)はいかがでしたか?

乳がんの治療に耐えられたのだから楽勝と婦人科の先生(主治医ではない)に言われていましたが、あの頃より8年も歳を重ねていたこともあって想像以上にきつかったです。
治療が終わった後、乳がんのほうの主治医や看護師さんから「婦人科がんの治療のほうがきつい」と聞いて納得しました。

閉経後にも乳がん再発予防のホルモン療法を受けるのですか?どのように感じましたか?

本来なら10年で終わる乳がんのホルモン治療。8年続けたところで卵巣を切ったことによって完全閉経となり薬が替わりそこからまた5年(トータル13年)になると知った時は正直いやだーと思いました。
今までの薬のまま残り2年で治療を終えるとか、薬を替えて2年でやめるとかいろいろ提案をしてみたのですがすべて却下されました。
今はあと5年の治療を受けるということに納得していますが長く続く治療なのでしばらく休薬期間がほしいと今は薬をお休みさせてもらっています。

ふたつのがんを経験して感じたこと

がん種によってその世界にかなりの差があるなと思っています。特に乳がんは罹患者も多いし予後もいいので患者も元気で企業とのタイアップも多く「キラキラした場所」がいっぱい提供されています。一方の婦人科がんにはその場所がほとんどない。だから私の夢は乳がん以外の患者さんにもキラキラした場所を作ること。重複がんになった私だからできることをみつけながら過ごしていくつもりです。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  1. たくさんの友達&大好きな主治医たち
  2. 人生観が変わるほどの体験や経験
  3. 積極さやチャレンジ精神

【失ったもの】
髪の毛(笑)

現在治療中の方々に伝えたいこと

がん患者は前向きであることが良しとされる風潮がありますが、私はそう思いません。がんとの闘い方、がんとの生き方は100人いれば100通りあると思っています。
落ち込んでしまうときも、涙がとまらないときも、今日は少し笑えたときも、みんながんとともに生きていく時間を一生懸命過ごしているんだと思うのです。
だから人と比べて私はダメだなんて思わないでくださいね。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

家族はがん患者にとって、そこにいてくれるだけで幸せでありがたい存在です。
だから特別になにかしようと思わないでくださいね。
ごく普通に接することが一番本人にとってうれしいことかなと私は思います。
それでも何かしてあげたくなった時は、「今私ができることは何?」とぜひ本人に聞いてみてくださいね。

日暮さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

【やってること】

  • RFLさいたま実行委員・・・立ち上げのときのメンバーでしたが今年から復帰。
  • 乳がんの院内患者会の役員・・・創設のときからです。広報を担当しています。

【やりたいこと】

  • 乳がん以外のがん患者さんにもキラキラした場所を作ること

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. がまんすること
  2. 人と自分を比べること
  3. 無理に前向きになろうとすること

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 自分の好きなように思うように生きる
  2. 自分の意思や考えは周りにきちんと伝える
  3. 仲間を作る

当時参考にした本

知って安心 婦人科のがんと治療 宇津木久仁子
*乳がんのとき参考にした本は今ではもう時代遅れすぎるのでご紹介はやめておきます。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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