【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a

前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a サバイバー吉田さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a
  2. 第1話「貴重な経験」
  3. 第2話「重なる転職」
  4. 第3話「営業部門の宴会にて」
  5. 第4話「一滴も出ないオシッコ」
  6. 第5話「前立腺肥大の疑い」
  7. 第6話「前立腺がんの疑いへ」
  8. 第7話「検査入院。生検による細胞診。」
  9. 第8話「リンパ節転移。手術ができない。」
  10. 第9話「食欲不振」
  11. 第10話「嘔吐、血の混じる大便、残尿感」
  12. 第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
  13. 第12話「アバスチンの副作用 血栓」
  14. 第13話「間質性肺炎の発症」
  15. 第14話「元気に続ける治療」

第7話「検査入院。生検による細胞診。」

2011年11月にオシッコが出ないために強い腹痛を感じ救急で東京医療センターと小林外科胃腸科で診てもらった東京都世田谷区在住の吉田博行さん(65歳、2011年当時60歳)は、その後のPSA値検査で異常値を示す。そして前立腺がんの疑いがあるとして検査入院をすることになった。

2011年12月26日、吉田さんは東京医療センターに入院した。
翌日、吉田さんの前立腺10ヵ所に長い針を刺し細胞を抜き取る生検が行われた。
検査室で横になり映し出されているモニター画面を観ていた。
その画面も10区切りになっていて吉田さんの前立腺から細胞を抜き取るたびに1つまた1つと埋められていく。

暗い気持ちだった。めちゃくちゃ暗かった。

自分は“がん”かもしれないという気持ちが半分、いやいやそんなはずはないという気持ちが半分。
まさに五分五分、半々の気持ちの中、嫌な検査を受けた。
そしてこの検査結果は1月6日に知らされることになった。
まったく明るい気持ちになれない年末年始。
今の契約社員としての契約が年末に終わるので携帯電話と社員証を一度返却しなくてはならない。
不安な病気と雇用、こんなにも暗い正月は初めてだった。

2012年1月6日、東京医療センター。
待合室にいると吉田さんの名前が呼ばれた。「吉田博行さん、お入りください」
診察室に入ると担当の女性の医師は吉田さんの方を向きこう言った。

「細胞を取った10ヵ所のうち9ヵ所からがん細胞が見つかりました。99%ではなく100%前立腺がんです」

その上でこれほど多くがん細胞が見つかるとがんが転移している可能性が高いという。
もし転移していれば今後の治療方針は抗がん剤治療になるという。
それを確認するために今後はさらに血液検査、CT画像検査、そして骨シンチグラフィー検査を行うと言われた。

妻の涼子さんと一緒に聞いた“がん”の告知。衝撃的だった。
なぜなら吉田さんは実の兄を悪性リンパ腫で亡くし、義理の兄を肺がんで亡くしている。
がんイコール死というイメージがあるのは当然だった。
「おれも死ぬのかな…」そんなことを思った。

医師はしょげている吉田さんに前立腺がんは急に進行するがんではないからうまく付き合っていけば10年、15年と生きていけると強調した。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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