前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a サバイバー吉田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a
- 第1話「貴重な経験」
- 第2話「重なる転職」
- 第3話「営業部門の宴会にて」
- 第4話「一滴も出ないオシッコ」
- 第5話「前立腺肥大の疑い」
- 第6話「前立腺がんの疑いへ」
- 第7話「検査入院。生検による細胞診。」
- 第8話「リンパ節転移。手術ができない。」
- 第9話「食欲不振」
- 第10話「嘔吐、血の混じる大便、残尿感」
- 第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
- 第12話「アバスチンの副作用 血栓」
- 第13話「間質性肺炎の発症」
- 第14話「元気に続ける治療」
第3話「営業部門の宴会にて」
長年勤めあげた東海銀行を退職しシニア俳優に転職した東京都世田谷区在住の吉田博行さん(65歳、2011年当時60歳)は、その後再就職し家事代行サービス業を育て上げたが56歳のとき退職した。
次の仕事を探すために新聞広告を眺めていたら「大手企業で営業をされていた方歓迎」の文字が目に飛び込む。それは同業他社の派遣会社で前職同様の人材営業をする仕事だった。
これならピッタリだし経験が活かせると思い応募した。
話しはトントンと進み採用。週に2日のペースで出勤する契約社員となった。
ここでも一生懸命働いたがある日その派遣会社の女性社長に呼び出される。
「吉田さんは家事代行の経験があるんですよね。実はうちも始めようと思っているんですよ。担当してもらえませんか?」そう言われた。
ただしこの会社が始めようとしている家事代行サービスは富裕層向けのワンランク上の家事代行サービスでホテル並みの上品でしっかりとした対応を目指すものだという。
高級マンションの管理会社とタイアップして行うサービスだった。
二つ返事で了解し“就労向け営業”と“家事代行引き受け営業”の二つを担当する。
それまでの倍の週4日出勤する契約社員となった。銀行を退職して4年後の2007年のことだった。
この派遣会社の風土と仕事が自分にあった吉田さんは、それから長く働くことになる。
1年ごとの契約だが営業職が好きな吉田さんの肌になじんだ。
それから4年が経ち、2011年11月22日のことだった。
会社の営業部門の宴席でみんな盛り上がっていた夜のことだった。
夜7時から始まった宴会は2軒目3軒目と続き、なんと夜中の1時半を回っていた。
どこに行ってもみんな盛り上がり一緒に飲んでいるうちに吉田さんは不思議なことに気づく。
「そういえば今夜はまだ1回もトイレに行っていない」
ただそんなことはあまり気にせず飲み続けていた。
次のページを読む >> 第4話「一滴も出ないオシッコ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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