前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a サバイバー吉田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a
- 第1話「貴重な経験」
- 第2話「重なる転職」
- 第3話「営業部門の宴会にて」
- 第4話「一滴も出ないオシッコ」
- 第5話「前立腺肥大の疑い」
- 第6話「前立腺がんの疑いへ」
- 第7話「検査入院。生検による細胞診。」
- 第8話「リンパ節転移。手術ができない。」
- 第9話「食欲不振」
- 第10話「嘔吐、血の混じる大便、残尿感」
- 第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
- 第12話「アバスチンの副作用 血栓」
- 第13話「間質性肺炎の発症」
- 第14話「元気に続ける治療」
第1話「貴重な経験」
「あなどっていた。まさか、別の2つ目のがんを発症するなんて…」
2011年に前立腺がん、それから3年半後に大腸がん(直腸がん)を発症し自らを振り返る。
「でも、これまで大変なことをたくさん乗り越えてきたから」
積み上げてきた波乱万丈の人生と持ち前の明るさが病気と向き合う自信だ。
東京都世田谷区在住の吉田博行さん(65歳、2011年当時60歳)は、これまで様々な仕事をこなす一方いろんな病気を経験してきた。すべてを貴重な経験として人生に厚みを持たせている。
吉田さんは長く東海銀行で働いてきた。
担当の地域の企業に飛び込み営業をして新規の融資案件をつくっていく積極的な営業マン。
入社以来忙しく、そして充実した銀行マン生活を送ってきたが、2003年52歳の時に退職する。
銀行業界再編の頃に体調を崩し、ここで一度心身を休めるべきだと妻と話しあった上での結論だった。
妻の兄が肺がんを患い、そのお世話をしたいというのも背景にあった。
「これからは、また新たな人生だ」
そう思いそれまで温めてきた夢に挑戦することにした。
それはシニア俳優。
カメラが趣味の吉田さんは、いつか逆の立場のファインダーに映し出される被写体の役になってみたいと思っていた。
だから週末を使い、「俳優養成教室」のレッスンにも通った。
銀行マンの世界とは別の刺激が得られるキラキラした世界に映った。
そして芸能事務所のオーディションでは見事300人超の内の35人に選ばれる。
親戚の介護をしながらシニア俳優の世界に入っていった。
企業のテレビCM、PRビデオ、広告、様々な仕事のチャンスがあり2週間に1回の頻度でオーディションに参加した。電力会社のコマーシャルでは4人家族のお父さん役として採用されたこともある。
思えば中学生の頃は大人しい引っ込み思案(じあん)の性格だった。
それが生徒会長になった友人からの逆指名で補佐役の仕事をしたことがきっかけでそれから積極的になっていった。
当時を知っている地元の同窓生たちは吉田さんの銀行営業マン、それからシニア俳優のキャリアに一様に驚く。
人は変わるし、変われる。
吉田さんが信じていることの一つだ。
残念ながら義理の兄は他界し、またシニア俳優の仕事は不安定で生活を支えられなくなっていた。
妻から「一生、俳優業では生活できないから他の仕事をしないと」と背中を押された。
吉田さんは54歳になっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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