前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a サバイバー吉田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a
- 第1話「貴重な経験」
- 第2話「重なる転職」
- 第3話「営業部門の宴会にて」
- 第4話「一滴も出ないオシッコ」
- 第5話「前立腺肥大の疑い」
- 第6話「前立腺がんの疑いへ」
- 第7話「検査入院。生検による細胞診。」
- 第8話「リンパ節転移。手術ができない。」
- 第9話「食欲不振」
- 第10話「嘔吐、血の混じる大便、残尿感」
- 第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
- 第12話「アバスチンの副作用 血栓」
- 第13話「間質性肺炎の発症」
- 第14話「元気に続ける治療」
第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
前立腺がんの治療を受けていたので別のがんはないだろうと大腸内視鏡検査を暫く行っていなかった東京都世田谷区在住の吉田博行さん(65歳、2015年当時64歳)は、2014年12月から体調を崩し翌年3月に消化器内科を受診した。そしてMRI検査の結果、直腸が腫れていると言われる。
吉田さんは3月23日から1週間入院しさまざまな検査を受けた。
「ぜんぶ調べます」と言った医師は前立腺から周辺のリンパ節、直腸とその周囲を調べた。
MRIの画像で観ると大腸内視鏡が入らないほど腫れていると言われる。
「そんなにひどいのか」と改めてショックを受けた。
入院中はきつい検査の連続だった。
お尻からバリウムを入れて行う画像検査、造影剤を血管の中に入れる画像検査、2度とやりたくない検査がつづいた。
そして退院間近のころ「奥様を呼んでください」と言われ心臓が破裂する思いだった。
二人が受けた説明によると大腸がん(直腸がん)は想像以上に重篤(じゅうとく)で、今後の治療方針は医師たちのカンファレンス(会議)で決めるというものだった。
そして、そのカンファレンスの結果こう決まる。
4月23日に手術。直腸を20cmほど切除し一時的に人工肛門を設置する。その後抗がん剤治療開始。
大変なことになったと感じた。
一方、仕事はというと続けていた。
その方が気がまぎれるし営業が大好きな吉田さんは、仕事ができることでとても励みになった。
そして迎えた2015年4月23日。お腹を切っての長時間手術が行われた。
その日、病院にいた妻・涼子さんは夫が手術室に入ったあとに手術室に運ばれる患者たちが、夫よりも先に出てくるのを何回も見て不安を募らせていた。
一方の吉田さんは不思議な夢を見ていた。
なぜか菜の花畑の上を自分が飛んでいる夢だった。空を舞っているのだ。
ふわふわ、ふわふわと。
そして下を見ると高校生のとき同学年だった小林君と田中君が見えた。
2人ともニコニコしている。
他界した兄でもなければ義理の兄でもない。小林君と田中君だ。
そう言えば2人は高校生の時にオートバイの事故で亡くなっている。
手招きしている訳ではなく、ただニコニコしている。
なんだろうと思ったその時、ガタンと音がして、たぶん手術台からストレッチャーに移された。
そして大勢の人が拍手している。
「吉田さん、おめでとう。手術はぶじ終了しましたよ」そう言われた。
開始から11時間が経過していた。
次のページを読む >> 第12話「アバスチンの副作用 血栓」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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