前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a サバイバー吉田さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田博行さん 前立腺がん 大腸がん(直腸がん) ステージ3a
- 第1話「貴重な経験」
- 第2話「重なる転職」
- 第3話「営業部門の宴会にて」
- 第4話「一滴も出ないオシッコ」
- 第5話「前立腺肥大の疑い」
- 第6話「前立腺がんの疑いへ」
- 第7話「検査入院。生検による細胞診。」
- 第8話「リンパ節転移。手術ができない。」
- 第9話「食欲不振」
- 第10話「嘔吐、血の混じる大便、残尿感」
- 第11話「重篤な大腸(直腸がん)」
- 第12話「アバスチンの副作用 血栓」
- 第13話「間質性肺炎の発症」
- 第14話「元気に続ける治療」
第9話「食欲不振」
PSA値が異常に高かったため生検による細胞診断を受けた東京都世田谷区在住の吉田博行さん(65歳、2012年当時61歳)は、前立腺がんと言われた。その後、がんの転移が見つかり進行を遅らせる治療(リュープリンを注射)を受け始めたところPSA値はぐんぐん下がり標準値にまでなった。
2012年9月、吉田さんのPSA値は「0.82」(標準値:4 ng/ml以下)。
安心できる状態になっていた。
ただこの治療は男性に女性ホルモンを投与するものだ。だからその副作用もある。
このころ吉田さんには女性の更年期障害と同じような症状が出ていた。
のぼせ、だるさ、発汗、ホットフラッシュ、、
最初のころは副作用とは知らず発汗するたびに「なんでこんなに汗をかくんだろう」とびっくりした。
冬に電車の中で大汗をかく。
営業でお客さんの会社を訪問している最中に急に汗が噴き出す。
副作用を少しでも抑えるため漢方薬を服用する。
色んな大変さはあるが、これで前立腺がんの進行を抑えられるなら副作用は仕方がない、そう整理した。
むしろ心配なのはリュープリンに耐性ができて効かなくなることだ。
副作用があるのは薬が効いている証拠だと思うことにした。
それから2年。前立腺がんの治療は順調だった。
しかし、2014年12月に入ったころ吉田さんは体調の異変を感じる。
食欲がないのだ。3食ともダメで食べたいと思わない。
「変だな。食べるものが悪いのかな?」
そして下痢をよくした。便秘もある。下痢と便秘が交互に繰り返されるのだ。
さらに血便も出ていた。
妻の涼子さんも心配しだし「大丈夫なの?」と時々言うようになる。
そういえば7年くらい前までは大腸内視鏡検査を定期的に受けていたがこの7年は受けていない。
なんとなく不安だが、一方でもう一人の自分がそれを打ち消す。
「前立腺がんを持っているからこれ以上2つ目のがんってことはないだろうな」
お腹の調子が悪いのは一時的なことだ。病院に行くのが面倒くさいのと、万が一にでも別のがんが見つかったなんて言われたくない気持ちがありそのままにしていた。
しかし、相変わらず体調が悪いので12月22日についに病院に行く。
初診受付で体調を伝えたら総合内科を紹介された。
本当は消化器内科で診てもらいたかったが「まあ、いいか」と言われるまま総合内科を受診した。
症状を若い内科医師に説明すると、問診と触診をして「たぶん大丈夫でしょう。血便は痔による出血でしょう」と言う。
正直、血液検査すらないことに不満を持ったが、一方で大丈夫という診断に安心した。
この年はもう一度病院で検査することもなく終わった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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