甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小西麻子さん 甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージ2
- 第1話「妊娠中の副鼻腔炎」
- 第2話「甲状腺の腫れの意味」
- 第3話「母として、妊婦として、システムエンジニアとして」
- 第4話「出産間近で始められない治療」
- 第5話「3人の育児と多忙な日々と手術」
- 第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
- 第7話「甲状腺の全摘手術へ」
- 第8話「肺への転移と3回目の手術」
- 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
- 第10話「長く続いた治療から日常へ」
第8話「肺への転移と3回目の手術」
三女の出産のあと右首の腫れものを取ると悪性腫瘍とわかり甲状腺を全摘した大阪府豊中市在住の小西麻子さん(36歳、2015年当時34歳)は、その後、がんの肺への転移が見つかり3回目の手術を受けることになった。
肺の手術…。
てっきり両肺の患部をメスで切り取る大掛かりなものと思っていた。
しかし受けた説明では胸腔鏡(きょうくうきょう)を使い、つまんでチョキンと切る程度のものだという。
6月の副鼻腔炎から始まりすでに1年近くが経っていた。
流れに流されてここまで引っ張られて来た感じがする。
「でも、ここでしっかりと病気を治さなくちゃいけない。3人の子供たちが、将来も、普通に日常生活が送れるように私は元気で居続けなくてはならない」
家族を思う小西さんは一日も早く正常な生活に戻したいと願っていた。
そして2015年7月29日、胸腔鏡による左肺の切除手術が行われた。
身体的な負担はそれほどなく元気だったが、退院は8月のお盆前になった。
それから9月いっぱい自宅療養をして10月3日に仕事に復帰した。
そして10月の終わりに、今度は右肺の切除手術。
つごう4度目の手術。
ともかく目の前のチャレンジを1つ1つ乗り越えていった。
その後12月に入り、再び会社に復職。
3人の子育て、手術、仕事、全てに全力投球の1年半だった。
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一方、治療はというと新たな段階に入っていた。
“放射性ヨウ素内用療法”
これは甲状腺がんがヨウ素を取り込む性質を利用した治療である。患者が放射性ヨウ素を服用すると、がん細胞が放射性ヨウ素を取り込み、結果がん細胞が破壊されるという原理だ。
具体的には「チラージン(ホルモン剤)」を日常的に服用し不足している甲状腺ホルモン剤を補っている中、「放射性ヨウ素内用療法」開始の4週間前から「チロナミン」に切り替える。そして2週間前になったら「チロナミン」の服用を止め食事は「ヨウ素制限食(*1)」にし体内の残存ヨウ素を極限まで下げる。そして放射線を放出するヨウ素のカプセルを隔離病室で服用する治療だ。
(*1)ヨウ素が含まれている食事、例えば「海藻類」「ヨード強化卵」「昆布だし」などが含まれている食事は一切禁止して制限するもの。
病院から「だから、たこ焼きもお好み焼きも禁止です」と言われた。
がっかりした小西さんは、「たこ焼き食べれんて、大阪人としてゆるされるんか…?」笑いながらそう返した。
次のページを読む >> 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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